我が子の闘病に伴い、それをサポートするため私も「我が子が住む関西」に引っ越しをし、転職もして2ヶ月。

ビビリの私ではありますが、そんな私でも「新しい職場や環境での生活」に、少しづつ慣れてきたような気がします。

 

とはいえやはり日々「やるべきこと」が多くて、ブログに向き合う時間もなかなか取れず、そんな「やりたくてもできないこと」が多々あることやそれらをうまくこなせない「自分の能力値の低さ、要領の悪さ」が嫌で、「いっそのことブログは削除してしまおうか」と考えたことも一度ではなかったのですが、昨夜急に「また書いてみようか」と思い立ち、こうしてブログに近況を書いている次第です。

 

カナは今も闘病が続き、日によっては「私もかなりカナのことを心配する日」があることに変わりはないのですが、大学が春休みに入ったことで少しホッとしたようで、私から見ると「少し元気に見える」気がして、そのことは母親である私にとっても「ホッとする出来事」となっているのが現状です。

 

もちろん、お医者さんから「一生治らないし、急に悪化する場合もある」とは言われている病気(過呼吸やパニック障害ではなく、もとから罹患していた希少な内科的な持病のほうのことです)ので、油断できないことに変わりはないのですが、私としては「少しでも、ひとときでも、カナが元気で幸せでいてほしい」というのが願いであることに変わりはありませんので、引き続きカナのサポートをし、支えていくつもりです。

 

ちなみにカナが今住んでいるアパートは「学生しか入居できない」アパートであるため、私はカナの住むアパートの数件隣のアパートに住んでいます。

同居することも考えてはいたのですが、カナも小さな子供ではなく、カナ本人からも「ワガママを言ってるのは承知しているけれど、自分の病気や後遺症が一生続くものだからこそ、自分一人で出来るだけ生きていける、生活していけるように頑張りたい」という希望がありましたので、私は適度な距離を保ちつつ、カナと接していますし、もちろんカナの体調が悪化すれば駆けつけるけれど、カナが割りと元気なときはそっと見守るだけの生活を送っていて、今考えるとその「ちょうどよい親子の距離感」は私にとっても救いであるような気がしますね。

 

(私はカナの親だからもちろんカナの闘病を全力で支えるのが役目だけれど、正直言えば私も「カナがしんどそうにしている姿をずっと見続ける」ことは辛いし、看病に疲れ果てて、あろうことか「一人になりたい」と考えてしまうこともあるから。でもそんなことを考えてしまう言私は「酷い母親」なのかもしれませんし、その度に自分を責め、猛省する毎日です)

 

とにかく、今はカナの必要に応じて私が出来ることをしっかりとやり、仕事もきちんとしていくばかり。

 

私の転職先に関しても、皆さん親切で優しくて、それは日々ありがたいことだと感謝しておりますし、同時に「なおのこと、仕事をしっかりとこなそう」と自分に言い聞かせ、努力していきたいとも考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

トシさんとは。

 

一応、「友人以上の、特別な間柄」という感じの人間関係になりました。

 

 

とはいっても、トシさんは東北在住、私は関西在住のため、確実に「遠距離」でのお付き合いなのですが。

ひとまず「お互いの気持ちを確認しあい、生きている人間の中では、自分の子供の次に一番大切な相手である」ということも確認するに至りましたので、今は一日連絡を取り合い(でもお互いの忙しさ等もあるので、挨拶だけの日もあります)、たまにトシさんが関西に来てくださり、顔を見て直接話をしたりもしています。

 

 

カナの病状や後遺症が悪化し「これは私がそばに行かないとだめだ」と考え、引っ越しや転職をした私の心は、カナのことでいっぱいになりながらも、実を言えばトシさんのことも「忘れた日」はありませんでした。

 

でも、お互い伴侶を震災で亡くした経緯もありますし、だからトシさんには「亡くなった奥さんと、その奥さんが残していった大切な娘さんもいる」わけで、だから私は「これ以上トシさんを私の人生に巻き込むわけにはいかない」と強く考えるようにもなっていたんですよね。

 

 

そう思ったから、私やカナのことを親身になって心配してくださり、力になろうとしてくださったトシさんを、私は「あえて突っぱねるような言動」をしてしまった。

 

1月末、カナが検査入院(重度後遺障害の認定や障害者申請のために必要な検査でした)し、その日も日帰りでわざわざ東北から新幹線で私のところにきてくださったトシさん。

そのトシさんが終電の新幹線に乗り込む姿を駅のホームで見送った私は「もう来ないでください」とトシさんに告げ、「今までありがとうございました、トシさんには御自分の家族や人生をもっと大切にしてほしいから、私との縁はここでおしまいにしましょう」と言ったんです。

 

 

トシさんはしばらく黙って私の顔を見たあと「わかった」と言ってくれて。

だから私は「これでいい、これでいいんだ」と自分に言い聞かせながら「どうかお元気で」と笑顔を無理やり作って「新幹線に乗り込んでドアのところに立つトシさん」に手を振り続けたのですが。

(終電だったからか、乗客はほとんどいなくて、だからドアのところでお別れできました)

 

ドアが閉まる合図のベルが鳴った瞬間、どうしても涙が出そうになってしまって、

 

「じゃあ、さよなら」という声をなんとか絞り出したあとはトシさんのほうを見ることもできず、新幹線とトシさんに背を向け、改札の方に歩きながら泣きました。

 

「いい人だったなあ」

「好きだったなあ」

 

「でも、もう会わないほうがいい。これ以上トシさんに迷惑をかけられない」

 

好きだから、大切な人だからこそ、私のせいで苦労をさせたくはないし、幸せに生きていってほしい。

 

そう思ったから「別れの言葉」を言ったはずなのに、背後から聞こえる「ドアが閉まる音」と「走り出す新幹線の音」は私の胸を締め付けてきて、切なかった。

 

 

でもそうやって歩いていた私の右腕を、急に後ろからつかんできた人がいて。

 

「え!?」と振り返ると、そこにはトシさんがいたんです。

 

 

 

 

びっくりする「泣き顔の私」と、真剣な顔のトシさんと、加速して走っていく新幹線。

 

 

「なんで!?終電なのに!?」と驚きすぎた私が、その後「どうしたんですか?」と言おうとしたら、その言葉を遮るように「やっぱりダメだ」というトシさんの言葉が聞こえて、

 

 

で、まあ、なんというか

 

人があまりいなかったからそうなったのかわかりませんが、今思い出すと「恥ずかしすぎて叫びながら床を転がりたい」気持ちになりますが、トシさんの前で感情が昂ってしまった私は大泣きし、「俺は縁を切りたくない」と言うトシさんの言葉に「私だって本当は嫌です」と素直な気持ちを口にしてしまいました。

 

 

結局、その後トシさんは私の家に泊まることになり、二人でいろんなことをたくさん話して、「これからも付き合っていこう」ということになったのですが、今のところ「男女の関係」というようなことは何もなく、それは「お互いもう若くはないから」ということもあるのかと思いますが、だからこそ、これから私とトシさんはどういう関係になっていくのだろうと期待半分不安半分という感じです。

 

 

 

 

とりあえずそんな感じの近況なのですが、今月は月末にカナの進級をかけた成績開示があるので、今はその結果待ちがドキドキです。

 

カナは「体調が悪いながらも頑張って全部試験を受けきった」ので、私としては「十分頑張った」と思っていますが、やはりカナは結果が出るまで不安そうで、、、、、なんとか「カナが笑顔になれる結果」が出てほしいと願います。