答えのヒントを得た気がする備忘録 | 文の書斎

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〝ふみ〟と読みます。
女です。

小説、詩など、上手く書きたかった中学生も、もう大学院生になりました。
更新頻度は蝸牛並みですが、細々と続けています。

日常、趣味、好きな事中心。
心情を綴る/考えたことをまとめて置いておく場所。

最近時々YouTubeで見かける某チャンネルで、視聴者の「結婚して良かったこと」がコメント欄にたくさんある動画を見つけた。

そこでこの1年近く漠然と考えていた結婚とは何かという問いに対する答えが何となく見えてきた気がするのでまとめておく。

 

いくつか列挙すると、

・仕事で疲れて帰っても家に待っててくれる人がいる

・くだらない会話をして日々が過ぎていく

・無理のない自分でいられて、相手のために頑張れる

・どうでもいい話に相槌を打ってくれる人がいる

・自分の味方が常に側にいてくれる安心感

・守りたい存在ができたことへの充足感

・もう恋愛で悩まなくていいんだという開放感

・相手に何かあったときに真っ先に自分へ連絡が来ること

・法律的に立場が守られる

・家族や周りの人に配偶者がと話せる

・1人で生きていけたとしてもいざという時頼れる人がいるありがたさ

・相手が自分より大事だと思えた時、自然と自分を大切にしようと思えた

・年末に一緒にこたつで紅白見ながら鍋をつついて、お酒飲んで夜更かしして次の日も朝寝坊して起きた時に安心する人が隣にいる

という感じ。


この中の「自分の味方が常に側にいてくれる安心感」と「相手に何かあったときに真っ先に自分に連絡が来ること」にとても納得した。

前回書いた、一緒に未来を作りたい とか、人生に責任を持つと言うよりは、別のことをしながらただ隣にいて、互いの人生の困難や障壁に対する逃げ道や助けになれればいいのではないかということに通ずる気がして。

それが篠原かをりさんの言う、「互いの命に、人生に昨日よりも責任を持ちやすくすること」に通ずる気がして。

 

どうでもいい話に相槌を打ってくれて、(1人で生きていけたとしても) 何かあったときに頼れる人がいるということ。

極論、1人って楽だし、誰かと生きることは面倒だとも思うけれど、誰か1人確実な味方を手に入れて、某チャンネル主の言葉を借りれば、その人と生きていく"不自由"を手に入れることでその先の人生を"自由"に生きられるのだろうと。

そして、やはり"付き合っている"限りは他者から見れば他人でしかなくて、法律の下で認められて初めて、その人の人生・命に関わる...何かあったときに真っ先に知らされる権利が付与されるのだろうと思う。

同様に、これもどこかのコメント欄で目にしたことだが、「赤の (血の繋がらない) 他人を看取る権利」というのもなんだかしっくりくる。

 

幸い、自分のいちばんの味方は親だろうと思う。

けれど、現実、親はいつか先にいなくなるもので。

そうしたとき、結婚する..."他人"と"家族"を作るという行為は、一生近く側にいる味方を (法律に守られた関係として) 作ることだと言い換えられるのかもしれない。

 

ああ、いつも書く行為は思考の整理だけど、今回ばかりは書きながら本当に納得してきた。

 

 

あっという間だった今年を振り返れば、元彼に蹴りをつけたのは最初の3ヶ月の出来事だったし、半分以上の期間は今の彼との思い出がある。

本人にも伝えたが、今だから言えることは、彼が5月に野球に誘ってくれる前から、私は彼のことがちゃんと好きだったのだなと。

普段女の子と喋るところを見ない彼だからこそ、時々同級生と話しているのを見かけると、なんだか面白くなくて。

その心の機微に自分では気づきなからも、認めたくなくて、自分からは動けなかったのだと。

それは5年以上という時間を前の人に使って、すぐに次に行こうという行動力が無かったのもあるし、何より1年後にはここを離れ、新しい出会いがたくさん待っていることがわかっている彼に、こちらから行動を取る勇気が無かったのだと。

 

結局彼の方から行動してくれて今に至るし、実際付き合い始めてすぐに、その先も続けられたらいいと思っている、と言ってくれた。

もしかしたら、その時は目先の気持ちだけで言った言葉かもしれない。

けれど、最近は他の身内の大学院仲間(男)と楽しく話すこちらを見て、思ったほど嫌な気持ちにならなかったと...この人が選んだのは自分だしという余裕があったと言われて、また少し将来の話をしたときに、連絡を取らなくても会えなくてもそう変わるような関係ではないと思っていると言われて、ああこの人は本気でこちらを好いてくれているのだなと理解した。

 

彼と物理的に毎週会えるのはあと2ヶ月で、その先はやはり、彼が何と言おうと実際は不安だ。

しかしその不安は彼に対するものではなく、結局は自分の中の問題なのだと思っている。

気持ちが変わってしまわないか。

どう連絡を取ろうか。

それくらいのことは頭をよぎっては一蹴できるが、何より、自分自身がさらに1年後どこに行けるかまだわからない状態で、自分自身の将来さえわからないことが、いちばんの不安の種なのだなと、今は思う。

 

結婚しなきゃ別れる。

それは誰が相手でもそうだが、今年はあまりに高校〜大学の友人・先輩・後輩が結婚したものだから、本当に現実味を帯びていて、自身の世間的な年齢感覚を嫌でも自覚した。

彼にも自分が参列した結婚式の話をしたり写真を見せたりしたし、彼の親戚の子供の話や、お互いの両親の馴れ初めの話なんかもしたことがあるが、彼自身の考えは全くわからない。

私は学生という身分ながら既に経済的に自立している一方、彼は今度の春からだし、彼の身近での結婚話はまだ無いそうだから、きっとあまり現実味を感じてはいないだろうと想像する。

けれど、今の段階でお互いの考えを、少なくともこちらの感覚を話しておくことは必要なのかもしれない。

 

それは一つとして、あとはその不安要素を早く無くすために、自分自身がどこに行って何をしたいのか、何ができるのかをきちんと考えなければいけない。

 

 

 

2ヶ月後の追記。

彼の地元の幼馴染にも結婚した人が出てきたり、自分も友達の結婚式に呼んでもらったりして、その写真を彼に見せていたから、「結婚」というものがそう遠くないのだなと、彼の中で思えてきたという。

これからもずっと一緒にいたいと思っているけれど、どうですかと。

それはプロポーズですか!?と冗談で言ってみたら、それはちょっと、と笑われたけれど。

でも、そりゃあ一緒にいれたら嬉しいよ、と伝えた。

女の人の場合は出産なんかもあるし、と言っていて、なんて現実的で、しっかり考えてくれているのかと、驚いた。

 

これから社会人になって、"大人"になっていく中で、それを彼の隣で見られたらどんなに良いだろうと、今は本気で思っているし、彼もそんな風に思ってくれていることがわかって、安心した。

この追記をしている日を最後に、少なくともこれから1年、もう毎週は会えない。

けれど、先の話してもいい?と断ってからそんなことを聞いてくれた彼が、自分といる未来を考えてくれている事実があって、ただでさえ、寂しいけど離れていても大丈夫、そんな風に思える相手だったから、なおのことこれからも頑張れそうだ。

 

無駄な経験なんてない。

文脈は全く違うけれど、父がそう言ってくれた。

過去5年以上付き合ったアイツがいたから、その経験も、そこから得たある種の学びも、今に繋がっているかしらと思わざるを得ない。

「人生はタイミング」とはよく言ったものだが、本当にその通りだなと思う。

 

しばらくは、彼が手紙の代わりにと送ってくれた曲を、その歌詞の意味を考えながら耳で噛み締める。