あと10年経たずに30歳を過ぎるなんて | 文の書斎

文の書斎

〝ふみ〟と読みます。
女です。

小説、詩など、上手く書きたかった中学生も、もう大学院生になりました。
更新頻度は蝸牛並みですが、細々と続けています。

日常、趣味、好きな事中心。
心情を綴る/考えたことをまとめて置いておく場所。

自粛ムードも明けまた大学に行きだしたのが6月末。

夏は特に旅行も無く、オンラインで若手の会や学校で喋り、授業シーズンよりも忙しい夏休みだった。
 
そして後期セメスターが始まって既にひと月。
先週は4日間専門分野のワークショップがあり、これもまたオンラインで参加してトークもした。
恐らく初めましてであっただろうある研究者の方にドクターの学生だと勘違いされるくらいの発表はできたようなので、その点では満足である。
 
 
さてこれを入力し始めているのは11月1日の25時くらいで、2020年もあと2ヶ月で終わってしまう。
ここで考えなければいけないことが、社会人としての進路である。
 
先日、あるタイミングで、ついに指導教員に「ドクター行くの?」と聞かれてしまった。
というのも、昨年の院試の時点では濁していたため、聞かれるのは当然であった。
 
考えていなかったわけではない。
しかし考えることを先延ばしにしていたことも事実である。
「あとひと月以内には決めなきゃと思ってたところで…」と正直に答えた。
 
10月の半ばに、後輩に声をかけられ就活応援NPOの運営するサイトに登録した。
メンターの方々のアタックが思いのほか強く、イメージ通り自分には合わないなぁと思った。
自分の周りの人々はその団体に対して持っているイメージが似ているようで、そんなところにも人に恵まれたなぁなんていうのを感じる。
 
一度担当になったメンターの方と面談もして、就活に必要な流れを伺った。
北陸の大学を出て院で東北に来たというその人は、M1の秋まで何もしていない自分に対して丁寧に説明をしてくれたが、1回だけ「こういうのは大抵の人は5月にやってるから…」という感じのことを口にして、あーすみませんねと思った。
その後、気の知れた友人と先輩と3人で久しぶりに飲みに行った際、その団体のメンターたちには何らかのノルマがあり、実は勧誘などに必死らしいと聞いて、妙に納得した。
 
同じく10月の半ば頃、当のメンターの方に教えてもらったオンラインの合同説明会と、大学生協主催のオンラインイベントに参加した。
それが自分の就活第一歩というところだろうか。
結論、様々な企業様の雰囲気や業務を聞くことができ、また知らない世界を見れたと感じた。
またその合同説明会の参加者限定ということで、ある企業がES無しで1dayインターンに招待してくださると聞き、日付も近かったため、経験の意を込めて参加することにした。
 
そしてそのインターンが今日であった。
ITコースの購買企画体験(?)ということで、6,7人ずつのグループに分かれ、1日を通して様々なワークを行った。
事前動画を見る必要はあったが、それ以外は予備知識も要らずその場で考えることが中心であったため、 企業がどのようなことをユーザーに対して考えているかや、金銭面でどのように企画を通しているかなどが体験でき、とても勉強になったと思う。
同じグループで活動をしたメンバーの大半が大人しいタイプで、進行や最後の発表を自分が務めた面倒はあったが、オンライン開催で様々な場所から集まった人たちだったのもあり、それもそれでいい経験にはなった。
 
一方この2日前の金曜日、指導教員行きつけの小さいイタリアンのお店を貸し切って、念願の(?)研究室partyが開かれた。
新しいメンバーの加入、先輩の内定祝い、別の先輩の学術論文のアクセプトなど、一緒にお酒を飲む理由はたくさんあった。
そこで話した・聞いたことの中でいちばん印象に残った話が、「The secret is to read many papers and write papers.」である。
研究するには基礎を理解しなければいけないし、 その上で何が未解決なのかを知り、そしてその問題を自分が解決できそうな問題に落とし込む必要がある。
学生にはそれが難しいため、指導教員の手を借りるわけだ。
そして自分が"強くなる方法"が、自分の研究を世に出すために論文を書き、かつそれを書く(解釈する)ためにたくさん論文を読んで理解することで、だから実は鍵はやはり論文をたくさん読んで、自分で論文を書くことだ、という。
これは指導教員の言葉ではなく、7月に増えた研究員の方の話である。
同じ大学の別の教授に就いていて、アメリカで次のポストに就くはずだったがコロナ禍で延期になり、アディショナルタイムを我々の研究室で過ごしている。
最初はその方がとても怖く、発表のときにすごい突っ込んでくる人…という印象しかなかったが、 そうではなく、単に科学的視点に長けていて、面白く、様々なことを知っている人だということがわかってきた。
わかってきたところだからこそ、この飲み会での彼の言葉が素直に受け入れられた。
また指導教員はthe 研究者であり、修士の頃から研究を"仕事"と呼び、非常に優秀でポスドク期間も短かった人だ。
研究が非常に好きで、研究者のライフスタイルにポジティブだから、それを勧めてくるのだが、先の研究員の方はポスドク期間も長く、その下積み期間が長かった別の教授のこともよく知っており、両者それぞれの意見が違う方向から飛んできて、非常に為になる。
 
…なんか最近、自分は言わなくてもいい事の経緯も相手に喋ってしまうなぁということに気づいてきた。
ここは独り言の吐き溜め場所なので、自分の記憶に留めておくためにも許してほしい。
 
つまり何が言いたいかって、自分は最初からドクターに興味があるんだよなということに気づいてきた…ということである。
1人の女としての将来や、自分の能力に対する自信が無いから、どうしようなんて言ってはぐらかしてきて、
結局自分の人生最後は直感で、悩んでいる時点で答えなんてわかっていたのかもしれない。
 
インターンに参加したのは、ひとつの選択肢として民間就職を捨てていなかったからである。
片割れが今年からシフト制のサービス業で社会人として働き始めた姿を見つつ、会社で働くなら土日が休みで、ホワイトなところだといい、そんなざっくりした希望を持って。
そしてインターンに参加して感じたことは、いくら相手にお客さまや顧客がいて、相手のために働く仕事でも、最後はどう頑張っても企業はやはり利益が大事ということだ。
それに気づいたとき、自分は1人の社員として会社に利益を生むために働き続けることはできないと思った。
自分が誰かのためにやったことが、結果として利益に繋がるなら本望だ。
しかし会社に組み込まれてしまえば、頭の隅にいつでも利益というものは付き纏うに違いない。
 
その点で言えば、きっと高校教員の方が性には合っていると思う。
昨年教育実習に行った際、生徒に物理を楽しいと思ってもらえるように考え、授業をするのは、大変だったが楽しかった。
そして教師という職業もまた、人に何かを教えるために常に勉強しているということがわかった。
もちろんそれを職にすれば他にも様々な事務作業や部活動などがあるわけで、やはり自己犠牲的な職業だ。
しかし学校の利益などというのはなく(予算はあるだろうが)、未来の国を担う学生に教え、自らも勉強し続けながらその青春の一時を一緒に過ごすことは、やりがいがあるに違いないと確信している。
 
科学者として生きることを決めたかと言えば、そうも言い切れない。
そこにはまだまだ自信がないし、だからこそ大学院というのは5年間あって、そこで初めて博士号がいただけるのだと思う。
先日の記事で書いた通り、自分にはまだまだ足りないことがたくさんあるし、しかし上の人と比べればそれは当然なのだ。
そこで私は駄目だと思うのではなく、そういう考え方があるのだということを学び吸収して、自分の知見に繋げればいいのだ。
博士課程というのはそのための修行期間であり、その間にたくさん論文を読んでかつ自分も論文を書いて理解をしていけばいいと、金曜の研究員の方の話を聞いて、そう思えるようになった。
 
ネットで女性科学者について少し調べたとき、川合眞紀さんの記事を読んだ。
東大を出た素晴らしい方で、その記事には、研究はやめたいときにやめられると思ったら楽になった、というようなことが書いてあった。
それを始めたら続けなければならないのではない。
興味がなくなったら続けられないし、環境にももしかしたら左右されるかもしれない。
そうしたらそのときはそれでもいいじゃないかと思わせられて、救われたような気持ちになったのも事実である。
 
指導教員は、研究者は素晴らしい職業だと言う。
誰に強制されることなく、自分の働き方は自分で決められて、どこに就くか応募するのかも何時にオフィスに来るのかも自分次第だ。
それはまた全て自分に責任があるということでもあるだろうが。
 
彼がこの大学に赴任してきたのは2年半前で、ちょうど学部3年のときのセミナーを選択して今に至る。
彼の専門分野は他の教員とは異なるフィールドで、また彼が近年取り組み、自分も実際興味を持って取り組んでいる内容は、ここ数年で急速に発展してきた比較的新しい分野だ。
運命なんて言う言葉は非常に陳腐だが、彼の赴任と、分野の発展と、自分の進路・分野の選択の時期が重なったことは、タイミングがよかったの一言に尽きると感じる。
実際3年生のときに彼のゼミを取っていなかったら、この分野には出会っていなかっただろう。
そして彼の元で実質丸2年過ごさせてもらい、ポジティブで前向きなところのある考え方に、自分自身影響されているのもまた事実だ。
 
彼の言う"楽しい"が全て正しいとは限らない。
ポスドク期間は給料も高くはないし、またうまい具合にポストに就けるとも限らない。
しかし今楽しいと思えているこの"仕事"を、あと4年頑張って続けてみてもいいのではないかと思うのだ。
先に書いた通り、本当にやめようと思えばきっといつでもやめられる。
結婚するのか、子供を産むときが来るのか、そんなことも全くわからないが、それはそのとき一緒にいたいと思った人と考えればいい。
 
友人の中には、もっと勉強したかったのに就職せざるを得なかった人もいる。
就活がうまくいかず院進し、多分勉強してる方が合ってるけど自信はないからとまたぼちぼち就活している人もいるし、その一方で、私は勉強好きじゃなかったから学生でいるのも大変だしすごいと思う、と言う人もいる。
つまりは人それぞれで、その人の環境や考え方を憂う必要は無いのだということも、自分で読み返したときのために書いておく。
 
大学に居続けることはお金もかかる。
しかし、大学にはドクター進学希望者に対する学位プログラムもあるし、今書いている論文をきちんと出してアクセプトされれば、きっと学振も難しくはないのではないかと思う。
 
昔から自分には将来の夢がなかった。
小学校の文集で夢が書けず、幼稚園のときに先生に自作の(幼児ならではの)絵本を作って読んでいたことを母に言われて思い出し、作家になりたいなんて書いていた時期もある。
そんなことを思っていたから、中学生のときか、何かの授業で「将来お金が稼げるけど好きじゃないことをやるか、お金は無くても好きなことをやりたいか」みたいな質問に、自分ともう1人男子だけが後者に手を挙げたのも、場面としてなぜか強く覚えている。
そんな風に夢はなかったが、やりたいと思ったことには直感で選んできた。
部活、受験・進学先、イベントの参加、イギリスへの海外研修、学科選択、研究室選択。
"悩む"という行為は多分、"自分の気持ちに嘘をついて安泰を狙うか世間体を考えて選ぶか、自信のなさを理由に諦めるか"のようなもので、だから最後は結局直感で、"悩むってことは自分はこれがやりたいんだな"、と認識してきたように思う。
今回はそれを選択したあとのスパンが長い分、選択にも時間がかかったということにしておきたい。
 
今はまだ自分の中での吐き溜めである。
今週末には久しぶりに打楽器の先輩後輩に会える予定なので、先輩にも少し話を聞いてみようか。
そうして本当に決断したら、彼と、両親と、そして指導教員に伝えなければならない。
んー彼はなんて言うかな。
両親は自分がきちんと考えてやりたいと思ったことには、心配はしても否定はしないと知っている。
指導教員は...自分のことを非常によくできた人だと認めてくれているようなので、いいカッコしようと思い過ぎず、彼の考え方や物の見方を勉強していかなければならない。
 
書きながら本当にそれでいいのだろうかと言う迷いはまだあるが、今月中旬がタイムリミットだ。
それまできちんと考えて、人々に自分の考えを告げよう。