「ゴール」は価値に導かれて生きていく途上に存在する中継地点。
「自分はこうありたい」は価値の一種とも言えるが、その中身は本当に価値か?ゴールではないか?
手段が目的になっていないか?
価値とは継続的で身近にあるもので、ゴールは途中で諦めていいし、価値に基づいてまた再設定すればいい。
価値がわかっていれば、中継地点にすぎないゴールにこだわらなくていい。
しかし、価値も軽く持っておくくらいで、固執してはいけない。
どの価値を優先するかは流動的。状況や心の変化には柔軟であってよい。
何がストレスなのかをはっきりさせて、その「真実を明らかにする」ことが「諦める」ことである。
よくよく考えて、明らかにして、本当にその事実に納得するならば、諦めていいのである。
そこに負の感情は必要なく、むしろ前向きなものである。