2007年、東京で会社員を始めて、なかなか上手くいかない中、歌に出会って始めてみてから、もう12年が経つ。
3年半もの長い間、二週間に一度レッスンに通った。そして、上手くなった気でいて、メキシコに行った。今聴くと、笑ってしまうほど下手だった。
メキシコで国立音楽院の教授に歌を聴いてもらったら、0からやり直さなくてはならない、と言われショックを覚えたことを覚えている。しかし、今は正直にそう言ってくれたことも分かる。
あれから、本当にどれくらいの時間を音楽に費やしただろう。あの時は、まだ言葉も上手くなかった。
自分は、今37歳になった。そして、もうすぐ父親になる。
東京でやったことは、何の足しにもなっていないけれど、この世界に足を踏み入れるキッカケにはなった。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
長く留まり過ぎたと思っている。体験として、1年で十分だっただろう。
しかし同時に、そんなことすら判断できないくらい、無知だった。
音楽に関していえば、これは人に強制してやらされることでもなんでもないし、ましてや、情熱とかそういったものも、本人の中からしか湧いてこない。
そして、音楽には技術がある。そして、それは見えないから感覚で掴むしかない。自分も、帰国後、結局は現地でずっと長く歌劇場で唄ってきた人のお世話になった。
海外に住まずして、外国語も流暢に話すことも出来ないのに、できるはずがないことだった。
自分の感性を信じて、新しい世界へ飛び込んで正解だった。
もし、あの時、東京に留まっていたら、きっと何も変わらないまま、時間だけが過ぎていただろう。
世界中の、数えきれない人たちとの出会いも、挑戦も、自由の謳歌も、愛を知ることもなかっただろう。
きっかけは、きっかけに過ぎない。
本当の世界は、一歩外に出てから始まる。そして、それは早ければ早いほどいい。
助走にもならなかった準備期間だった3年半は、あまりにも、もったいなかった。
自分の人生を好転させるきっかけは、間違いなく東京を飛び出したことだと、今でも振り返って思う。
そして、テノールの指導は、テノールにしか出来ないことも付け加えておきたい。
人生を本当にスタートさせるのは、無駄な努力を損切りするところからなんだ。
甘い言葉に踊らされず、自分の道を反対されても進んでいくことが、自分の人生を生きていくということだ。運命を他人に委ねてはいけない。
今月はスイスだ。