【Cantante lirico】テノールー日本を越えオペラを外国で - A Japanese Tenor becomes an opera singer

【Cantante lirico】テノールー日本を越えオペラを外国で - A Japanese Tenor becomes an opera singer

テノールリリコが、オペラハウスと契約するまでの物語- Japanese Tenor lírico signs a contract with an opera theater and create a career overseas

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太陽カンツォーネというコンクール。

 

初めて受けたのは、何年前だろう。

 

この大会で優勝したら、プロになれるとか、そんな幻想を信じて頑張ってた時があった。

 

でも、何も知らず、下手くそで、メカニズムもへったくれもない中、無謀な挑戦を繰り返していたあの時、失敗することが分かっていても抜け出せなかった。限界ギリギリの中で、サラリーマン生活を続けながら、独特なメソッドで、結果が出ないまま、もがき続けた。

 

もし、あのまま東京にいたら、ずっと入賞すら出来なかっただろう。

そして、今、国から国民一律10万円が支給されたので、寄付するくらいなら、と思って、お金がかかるけど、参加してきました。

 

太陽カンツォーネの参加曲の公開デモ音源というのを聴いたが、オペラ歌手のカンツォーネばかりを見本に掲示するというのは、すなわちオペラの、本物の突き抜けるオペラの声を結局は探しているのかな、と思った。純粋なカンツォーネというのは、本場イタリア以外には、無いのではないか。

 

結果は、本選まで行ったものの優勝叶わず。でも、変な癖が出たから仕方ない。2次予選のときは、声は浅かったけど、形にはなっていた。でも、どうせならぶっちぎりで優勝したいから、フルボイスでいったけども、開きすぎたのと、音のとり方もまずかった。

 

このコンクールで、人生が変わるとか、そんなことは、ありえないことだと思う。そして、入賞したことも、キャリアにも、役にすら立たないと思う。それでも、何も知らず、外国語も分からないまま、丸暗記で歌詞を覚えて、ド下手のままコンクールに出て、そこに微かな希望を託していた、あまりにも若く、世間知らずだった自分を回想すると、長かった。

そして、もうこれで、このコンクールに参加することも二度と無いだろう。

 

けれども、学んだことは、大きかった。自分の持っていた無くて七癖の、おかしな癖を、取り除くきっかけになったのだから。

 

自分の場は、海外にある。オーディションに通り、観客に受け入れられるかどうか。大事なのは、人の心の琴線に触れることができるかどうか。海外のコンクールでは、審査員が泣くらしい。自分が2013年に、初めてオペラを聴いた時、本当に感動した。

 

それまでのことを、全て否定されても、やりたいと思った。

今だから、自分が習ったこと、なぜそうしなくてはならなかったのか、全て分かる。全てがおかしいわけではなかった。しかし、その理由が分からないのであれば、何年やっても無駄だ。再現できないのだから。ならば、永遠にレッスンの奴隷だ。

 

それを、掴み取るのは、自分ひとりで出来るようなものではない。全てをシェアしてくれる、偉大な教師に会うしかない。発声のメカニズムは、実はシンプルがゆえに、出し惜しみしてしまうのだろうか。

 

昔習った先生のことを、全否定する気はない。おかしな点もあれば、正しさも幾分あった。実際、声が良く出る時もあった。その理由も今なら全部分かる。何より、楽しかった。希望を持たせてくれて、励みになった。しかし、実が必要だった。実力がなければ、やってはいけない。本当のことを知る必要があった。だから、自分は海外へ行った。

 

あの時、20代で全てを捨てて、海外に行ってよかったと思う。東京の人混みを見て、こんなところで、ずっとサラリーマンをしていたら、きっと今よりも、もっと貧乏で、幸福感のかけらもない日々を過ごしていたに違いない。

 

本物を追求して、泣いて笑って、全力で10年間生きてきた。絶望と感謝の繰り返しだった。しかし、全部自分の血と肉になった。

たいしたこともしないのに、お給金をただ貰いに満員電車に乗って会社に行くゾンビのような生活をしていたら、考えられないようなことを、たくさん経験した。

 

おかしい、抜け出したいという気持ちは、本当に大切な心のメッセージだと思う。

 

そして、帰国してから、また東京に通った。素晴らしい教師に会えたからだ。ドイツでの経験豊かなその先生に習うために、月一回夜行バスで東京に通った。しんどくなって買った新幹線の切符を無くしたりしながらも、2年間通った。その先生に会えなければ、前に進むことは出来なかった。素晴らしい指導者だと思う。そこに、自分が海外で、特にキューバで得た示唆が、すべて理論ではなく、体感できるようになった。

 

東京を出て、海外に行き、東京へ行き、また海外へ。

次は、もう帰ってはこない。帰ってくる必要もない。