太陽の塔が象徴したもの──EXPO'70と、今の万博に欠けているもの
1970年の大阪万博、通称「EXPO'70」。このイベントを象徴するものといえば、やはり岡本太郎の《太陽の塔》です。
今や日本を代表するモニュメントのひとつとして知られています。
が、実はこの塔、最初から存在していたわけではありません。
当初、万博会場の中心には、建築家・丹下健三が設計した巨大な屋根付きのパビリオンがそびえる予定でした。
日本的美意識——それも弥生時代風の様式美を取り入れた壮大なデザイン。しかし、それだけでは何かが足りなかった。
そこに異議を唱えたのが岡本太郎でした。
彼は「こんな時代に、しかも大イベントで、ただ美しい建物を建てるだけでいいのか?」と問い、「もっと革新的で、魂を揺さぶるようなモニュメントを作るべきだ」と主張。その言葉通り、丹下建築の屋根を突き破って、《太陽の塔》はまさに“誕生”したのです。
奇抜さのための奇抜ではありません。
岡本太郎が描いたのは、「自然」と「宇宙」、そして「未来」への人間の進化と祈り。その中心にある“今ここ”を象徴する芸術的な挑発でした。既成概念をぶち破る姿勢は、当時の空気、学生運動や社会変革の波ともシンクロしていたのです。
ところが──。
55年後の今、同じ大阪の地で開かれようとしている2025年の万博(EXPO2025)は、どうでしょうか。
太陽の塔に込められたようなメッセージ性も、革新性もありません。メインパビリオンとされる木造建築は、どこか投げやりで、利権と政治にまみれた構造物にしか見えない。芸術ではなく、処理されたイベント。かつてのように「未来を語る万博」ではなく、「予算を消化する万博」に成り下がっているように感じてなりません。
莫大な税金が投入される一方で、その恩恵が流れる先には、なぜか外国企業(特に中国系)や一部の既得権益者(特に維新)の影がちらついています。肝心の中身、すなわち「未来へのビジョン」が、まるで抜け落ちてしまっているのです。
あの頃、世界は変わろうとしていました。
革命の名のもとに、熱気に満ちた時代。
けれどその多くが、理想の先にある現実に直面していきました。
特に「共産主義革命」がたどった末路は、自由な社会とはほど遠い、独裁の強化と抑圧でした。日本でもその片鱗は見えていた。過激派の暴力、思想の硬直、自由の不在…。
今、その過激派が形を変えて、議会の中に入ってきているという現実も見逃せません。たとえば、「れいわ新選組」。
多くの若者に支持されている政党ですが、その構造には「帰化人主体の政党」という側面もあることを、少なくとも知っておく必要はあると思います。
かつて《太陽の塔》は、「今ここ」から未来へ突き抜ける象徴でした。
2025年の万博には、あの塔のような“魂の挑発”は見られるでしょうか。
あるいは、もう私たちは、そういうものを求める感性すら失ってしまったのかもしれません。
(つづく)