小さい時の想い出。。大声で泣いた。 | humanskill-blogのブログ@

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自分探求のブログ

最近よく小さいときの事を思い出す。

 

人生の中で、これほど感情を爆発させた瞬間があっただろうか。

大人になってからも、無邪気に笑い転げたことも、大声で泣きじゃくったこともあった。でも、私の記憶に鮮烈に焼き付いているのは、幼い頃のある出来事だ。今でもその場面がまるで昨日のことのように、鮮明に浮かび上がる。

 

それは、たぶん私が3歳か4歳の頃。

家にあった三輪車は、昔ながらの鉄製で、雨風にさらされて錆びついていた。新品の記憶がないから、きっと誰かのお下がりだったのだろう。それでも、その三輪車は私の大切なおもちゃだった。

ある日、いつものように三輪車で遊んでいた。ぎゅっとハンドルを握り、ペダルを漕ぐ。その時だった——突然、バキッと音を立て、ハンドルと前輪が分離し、私の体は宙を舞った。地面に転がり、ぼんやりと三輪車を見つめる。壊れてしまった。

 

母はそれを直そうと、家の近くにいた町工場へ持って行くことにした。

でも、私は行けなかった。

母は、黙って三輪車を持ち上げ、家の前の坂道を一人で下りて行く。私はその後ろ姿を見つめながら、何かが喉の奥からこみ上げてきた。

「待って! 待ってよ!」

言葉にならない叫びが、次の瞬間には大きな泣き声に変わっていた。

私は家の前で立ちすくみ、ただひたすら大声で泣いた。涙がぽろぽろとこぼれ、息が詰まるほどに泣きじゃくった。母は振り向かない。どんどん遠ざかっていく。

坂の一番下のT字路に差し掛かる頃、私はもう限界だった。全身が震えるほど大声で泣き続けていた。

 

その時だった。

母がぴたりと立ち止まり、クルッとこちらを振り向いた。

私は泣きながら、母の姿を見つめる。すると、母はすぐにこちらへ戻ってきた。

そして、それきり——母はその三輪車を工場へ持って行くことはなかった。

なぜ? なぜ母は一人で行こうとしたのか? 

なぜ私はあんなに母と一緒に行きたかったのか?

そして、なぜ私は母を追いかけなかったのか?

今でも、この問いの答えを見つけられずにいる。

 

皆さんは、自分の人生で一番感情をむき出しにした瞬間を覚えているだろうか?