今日は何の聖句の裏づけもない単なる自分の気持ちを書いていきます。

 

 

二、三人で集まってちょっとした誰かのうわさ話をしていると、ちょうどそこにその本人が登場して気まずい思いをした、という経験をされたことが皆さんも一度や二度おありでしょう。

 

本来そこにいないはずの人が、たまたま通りかかったとか用事が早く済んで帰ってきたとかで、不思議とタイミングが重なったりするのです。

 

以前の職場では、なぜだか再々そういう場面を目にしました。

 

肝心な時はいない事が多いのに、いなくていい時に限って居るっていう上司とか・・。

 

それで、今日のタイトルのようなことわざが出来上がったんでしょう。

 

 

さて、なんとなく引き寄せの法則的なものを感じるそういう事が、話題の善し悪しにかかわらず会衆関連でたまに起きると、とたんに

 

「聖霊が教えてくれた」

「みつかいが導いた」

「祈りの答えだ」

 

となるのは不思議です。

 

いやいや、普通に一般人もみんな経験していることでしょう。

 

 

ある長老は、新聞配達だけじゃ家族を養えなくなったので新しい仕事を祈り求めていると、ちょうど時間の融通が利く単純作業の仕事を紹介されました。

 

彼は、「祈りが聞かれた!」「やっぱりエ〇バだ!」と周りにしきりにアピールしていましたが、少ししてその仕事が原因で体を悪くしてしまい、しばらく働けなくなって身体的にも経済的にも最初より悪くなってしまいました。

 

するとどうでしょう、今度はその紹介された仕事について、

 

「あれはサタンのわなだった。」

 

というのです。

 

 

・・これには、自分も笑いをこらえる事が出来ず、本人の前でつい笑ってしまいました。

 

 

 〇〇兄弟、それはエ〇バでもサタンでもないと思いますよ。

 

 単にその仕事が兄弟に合わなかっただけでしょう。

 

 

 これだけは言えます。

 

 

 

 

 

 エ〇バ神は呼んでもそしっても来てはくれないです!