HUMAN LOG -44ページ目

いつか生まれ来るこどもたちのために

いつか生まれ来るこどもたちのために

自分の生き方が、遠い未来に生まれる自分の子孫の
遺伝子に組み込まれていくのだとしたら
漠然とではあるものの、責任みたいなものを感じます。
よく生きるというのはなかなか難しいもので、
どうしても楽な方に流れそうになる。
いろんなことを深く考えることとか、人への思いやりとか、
努力とか、向上心とか…。
なんだか品行方正のいい子ちゃんみたいな思想です。
ひと昔前だったら、そんな考えに反抗してみるというのも
ひとつの選択だったかもしれません。
でも、今って世の中全体がおかしくなってるでしょ?
幸か不幸か現代を生きる人間は軌道修正をする役目が
まわってきたように思えます。
それを拒否してもいいのかもしれません。
他の誰かがやってくれるでしょうから。
ただ、この世の中にはどんなかたちであれ
未来があることを少し想像してみると
今日生きていく上で、
自分の行動になんらかの変化があるのかなと思います。
まず、自分が触れることのない
未来の子どもたちのことを想像してみます。



正しくなくていいんじゃないか

正しくなくていいんじゃないか

間違いというのは正しいの反対語じゃなくて
正確の反対語じゃないでしょうか。
正しいって一体なんでしょう。
正しいって言い換えると「前例がある」ってだけじゃ
ないかと思うのです。
正しくないものの中に可能性はより多く含まれていると
考えてもいいんじゃないかと思います。
正しいことはいいことも悪いこともある。
「愉しい」や「気持ちいい」の方がよりいい
判断基準のような気がしてきます。



ふたつある理由

ふたつある理由

表と裏、昼と夜、男と女、
片方が存在しないともう一方も存在しない。
本来それは不完全なものじゃないかと思うのです。
ただ世の中にはこんなふたつで完結するものが
多く存在します。
それはこの世界が
不完全なものを必要としているようでもあり
完成を求めていないようにも感じます。
そして世界はこのふたつを反発するものではなく
互いに補完し合う存在であってほしいと
願っているのではないでしょうか。