みなさんこんばんは、ユマニテ会ゆにっちです。 ![]()
書きたいことが沢山たまってきました。
先日の安岡活学塾の論語の解説のちょっと難しかった部分についても話したいし
今回のユマニテ会のラッセルのことについても話したいです。
でも、その前に先週からすごく気になって考えていたことを先にお話しすることにしますね。
それは義理人情のお話です。
前回四竈先生の浅草のお祝い会で、先生は昭和残侠伝で義理と人情においては
最後には人情が勝つ とおっしゃったんですが、
私は任侠映画は女を捨てて義理に生きる男が描かれているのかと、
おぼろげながら思っていたので、
そこで、”え?情に生きる男? 義理人情っていったい??? と頭の中がぐるぐる回っていたのです。
それに映画の中でも藤純子は”今度はあたいとの義理と情(なさけ)に生きて下さいね。”みたいなことをいってたし。
それでネットで色々調べたのですが、殆どのご意見は、昭和残侠伝に関して
女や子分への情を捨てて、義理に生きる男に対する美学や感動を綴ってありました。
先生のいうことと、全く逆なのです。 ![]()
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それでまたまたあの映画においての義理と人情がわからなくなってしまった私。
早速先生に質問攻めです。その中で分かってきたことを話します。
まず、昭和残侠伝のシリーズの中でも、
先生が好きなものは「死んでもらいます」と「唐獅子牡丹」であり、その2本を特に好きらしいのですが、
私も何回かDVDでみました。
その他のシリーズは鶴田浩二がでてくる編は、やはりそういう傾向(義理が重たい)があるらしいです。
でも死んでもらいますと唐獅子牡丹ではちょっと違うということ
先生のお言葉の疑問点その1:愛する者のために日本刀もってぶっとんでいく男
ここで第一の誤解をしていました。愛する者はてっきり藤純子であると思っていたんです。
だってヒーローとヒロインですしね。 それでは辻褄があいません。
愛する者→これが四竈流では、池辺良でした!
愛情というより友情男同士のあうんの気持ちの交流みたいな男と男の情だったんですね。
そう考えると、下の先生の言葉がすんなり入ってくるし、少し納得できました。
私たちががんじがらめに縛られている義理、それを突破して、情に、愛する者のために日本刀を持ってぶっとんでいく。それが一番かっこいいんですよ。
やはり既成概念を打ち破るお話でした。
男は、女性より男に惚れるようなところがあるのでしょうか。
それゆえにユマニテ会に熱い男性が集まってこられるのでしょうか?
(さだまさしのあれじゃないですけど、意見には個人差がありますけど・・・)