数日前のことでした。とても痛ましい事件がまたしても起こりました。川崎殺傷事件です。以下はウィキペディアからの抜粋です。

 

「2019年5月28日午前7時45分頃、川崎市の登戸駅付近の路上で、通行人やスクールバスを待っていた小学生児童らが近づいてきた男に相次いで刺された。男は保護者の男性(後に死亡を確認)を背後から刺した後、約50mを無言で走って移動しながら保護者の女性と児童17人(後に死亡を確認された女児1人を含む)を襲撃した。容疑者はスクールバスの運転手から「何をやっているんだ」と叫ばれた後、さらに数十メートル移動して自剄に及んだ。襲撃開始から容疑者が自ら首を切るまで十数秒程度だった。」

 

まず、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたします。(合掌)

 

報道によると、犯人はひきこもり状態にある中年男性なのだそうです。犯行後にみずから命を絶ったために、事件の動機などの真相は分かりません。

 

このような事件があると、私たちはつい考えがちであると思います。このような陰惨な事件を起こすからには正常な精神状態にはなかったに違いないと。異常な何かがあるはず、そう考えがちであると思います。実のところ最初は私もそう考えました。覚せい剤などのドラッグをやっていたのか? 判断力を著しく欠くような精神疾患の急性状態にあったのか? 反社会的な偏りがあるパーソナリティ障害か?

 

人間は、訳の分からないことがあると不安な気持ちになります。そんなとき、なんとか合理的に判断しようと試みて、ということはもっともらしい理由を作り出してつじつまを合わせ、安心しようとするのです。そして、犯人に何らかの異常があるからこそこんなことができたのだ、正常な人間ならそんなことはできないはずと、みずからを納得させようとするのです。

 

認知的なバイアスによって平常心が保たれるという現実。これは不安を緩和して精神的な安定を保とうとする無意識的な知恵なのかもしれません。

 

報道によると、罪が購われるわけではありませんが、犯人にはいろいろと考えさせられるような生い立ちがあったようです。少ない情報から判断すると、いいえ推測すると、犯人には精神の異常を仮定するのは難しいのかもしれません。法的には責任能力が問えるような精神状態にあって、決して錯乱したような混乱状態にあったわけではないようです。みずからの死を覚悟して犯行に及んだことが、報道の情報からは読み取ることができそうです。

 

何とか今回の犯行を防ぐことはできなかったのか。残念でなりません。お亡くなりになった方のご家族のことを想うと胸が痛みます。お亡くなりになった方、お子様も、無念だったに違いありません。

 

犯人はおじとおばの居宅にずっと同居して引きこもっていたようです。5080問題や引きこもり問題も透けて見えてきます。叔父と叔母は市役所にいろいろと相談していたようです。引き取って育てた甥っ子がこの年齢になって引きこもりを続けていることを。でも、解決には至らなかったようです。

 

私は考えてみるのです。もしも私のカウンセリングルームにこの叔父と叔母が相談にやってきたとしたなら、一体どんな援助ができたのかと。本人は決してやってこないでしょう。おそらく。

 

話しは変わります。

 

このような事件があると、精神科医や心理士がワイドショーでコメントすることがよくあります。犯人の分析をいろいろとして、事件の真相に迫ろうとするのです。実をいうと、私自身、地元のテレビやラジオ局から取材を申し込まれたことは何度もあります。でも、お断りを続けているうちに声がかからなくなりました。よかった。残された遺族のことを考えると、事件についてコメントすることなどできないと考えてしまうのです。マスコミに露出する学者や臨床家の方々には何も言うことはないのですが、私自身はこうしたことに関わろうとは思いません。

 

長くなりました。もうやめておきましょう。

 

悲しい事件が後を絶ちません。一介のカウンセラーとしてできることを考え続けていこうと思います。