海外ではレディーファースト精神が根付いているという。
私の母は海外出身なので、そういったことが
幼いころから身近だったのだけれど
海外ドラマでもよくそういう描写がでてくるのと
ほとんど同じく、私の母も自立心が強く
私と姉がまだ幼い時から働く出した。
どうやら母は外で働くのが好きらしく、家で家事ばかり
しているのが耐えられなかったらしい。
母は饒舌で、また日本人みたいに思っている事を
包み隠すという事やオブラートに包むという事を知らない。
かなり強気でまた人とコミュニケーションを
取るのが得意だ。そしてかなり感情的
良く言えば情熱的で人と言い合いになることを恐れない。
目に見えて結果が出ることに対して
努力し続けるという事が得意で、言い訳が嫌いだ。
(考えるばかりでなかなか行動に移せなかったり、スケジュールに対して
ゆっくり行動していたりすると、大きくため息をつきながら、
また時にはキッと睨み付ける様にして、
クリスマスでも待っているのか?
と私が幼いころよく言っていたのを覚えている。)
母は私から見るとハリウッド女優の
ペネロペクルスにかなり似ているのでそれはもう
些細な事をしていても存在感があり
いつもプレッシャーを感じていた。
本当にすごい迫力なのだ。
そんな母と結婚した父は機内で
母に目をつけてナンパして
その後ほとんど強引に結婚までこぎつけた
これもまたクセの強い話なのだけれど、
父はこのエピソードでは想像も出来ないくらい
かなり優しく、理解力があり、マイペースでわりと寡黙
照れ笑いが可愛くて、まぁとにかく
いまだに私たち三姉妹や母に愛される人なのだ。
そして私は見事にファザコンである。
もちろん妹や姉も。
三姉妹誰一人もれなく父と似ている部分を持った人と
付き合ってきた。こんな父を持てて
というか家族を持てて幸せである。
そんな父なのでレディーファースト精神を
もちろん持ち合わせているのだけれど、
というか優しすぎるので
もはやレディーファースト精神なのか
分からないレベルだけれど。
先日何かの記事かYOUTUBEだかで
昔日本で言われていた、
(今でも角が立たない為にそうしている女性も沢山いるけれど)
三歩下がって後ろを歩く女性を良しとしたのは
女性が男性の後ろを歩くことで斬られないようにする為。というもの。
実際にそれが由来なのかどうなのかなんていうのは
日本古来の事を研究などしている専門の人に任せるとして、
私がそれを目にして実際に思ったのは
日本男児シャイすぎはしないか、という事。
お前は俺の三歩後ろを歩いていればいいんだ。と言われて
女性がそういう人だから、またそれが普通の時代だからと
何も疑問に思わずに三歩後ろを黙って歩き続けたとして
男性の本心に気づくのは実際に斬られた時だろう。
その時に自分の為だったのか、と気がついても
斬られた後では報われない気がしてしまうのだ。
それが男の美学なのだ、と言われても
実際にその話で盛り上がるのは男うちの中でだけの話しで
斬られてしまった女性からしたらたまったものではないし、
女うちでも美談になるのは男性が亡くなってしまった後の話しである気がする。
命を投げうたなければ美談にもならない事をするって
そんなに尊いことなのだろうか。
死んでから私は愛されていたのだ、と実感するより
生きているうちに二人で互いを思う気持ちを素直に
分かち合いたくはないか。
三歩後ろを黙って歩く女性が良しとされ、
それを見た一部の男性が男は女より無条件に偉いのだ。と、
どうひっくり返ったらそういった考えが出来るのだろうと
頭を抱えてしまう勘違いが生まれた。
まるで友達が経営している飲食店で
俺、奥さんは欲しくないけど子供はほしいんだ。
なんていとも簡単に言ってのけた残念な人みたいだ。
彼らがどこかで自分の過ちに気付いて無事に
成仏出来る事を願う、合掌。
まぁ、そんな残念な後者の男性、
私の元彼なんですけど。
四人目の子供が生まれたばかりの飲食店を
経営している友達も私もそれを聞いて
何も言えなかったのが何とも切ない話である。
今だったら微笑みながら、
早く男性に子宮が移植できる時代が来れば良いですね。
と皮肉の一つも言えたかもしれない。
その時の私には彼氏であったからこそ
何も言葉にすることがままならない
何とも居心地の悪い時間であった。
心中穏やかでない事は確かでその彼と
付き合っている間中どんなに良い時であっても脳裏から
離れることがなかった。
そんな予感めいた事の積み重ねが現実のものとなった訳だけれど、
こうして始めたばかりのブログで一つのエピソードとして
語れて消化出来るのだから人生は面白いし
有り難い。
これが彼が崇拝していた
ストーリーとしての競争戦略なのかもしれない。
と、行き過ぎて的を射ることのない皮肉で終わる。