【人生のプロセスを大切にする】
例えばキミが誰かに誘われてとあるビジネスに登録した。
キミは社会人で、自分の意志で登録したんだから、何かのメリットを感じたのでしょう。
それが断り切れなかったからということだったとしても、キミは登録したことで、自分が相手から嫌われることを回避したというメリットがあったのでしょう。
でも、そのビジネスに関わっていく中で、精神的か経済的か時間的か何らかのストレスを抱え、辞めたとします。
そして、あのビジネスはダメだの、損しただの、騙されただのと悪態をつく。
例えばキミが何かのコミュニティーに参加した。
キミは社会人で、自分の意志で参加したんだから、何かのメリットを感じたのでしょう。
最初の内は楽しかったけど、続けていく上で人間関係にトラブルが生じたり、自分の求めているものと違ったと感じたり、コミュニティのあり方に疑問を感じたりと何らかのストレスを抱えて、離れたとします。
そして、あの団体はおかしいだの、やっていることが間違っているだの、本当にやりたかったことはあれじゃないだのと悪態をつく。
例えばキミがどこかの会社に就職した。
その会社の環境や待遇が思っていたものと違ったとしましょう。
キミは社会人で、自分の意志で就職したんだから、何かのメリットを感じたのでしょう。
そして、あの会社はブラックだの、待遇が悪いだの、環境が最悪だのと悪態をつく。
そこで与えられたものや、得られたものもきっとあるはずなのにね。
まさに、手のひらを返したようにです。
でも、そこで過ごした時間はキミの人生の1ページでかけがえのない瞬間達でした。
そうやってぶちまけることで自分を正当化したりとか、今付き合っている人との関係が良好になるとか、自分をなぐさめたりとか色んな思いはあるとは思う。
けど、キミは自分の人生を否定していることになる。
けど、キミは自分を否定したことになる。
仮にそれらの選択が誤りで、またその対象が間違っていたとしても、そのプロセスが合ったからこそより本物を見つけられたのでしょう。
言いたいことは、そんななぐさめを受けるような安っぽい自分になってほしくないってこと。
キミに、ずるい人になってほしくないってこと。
言いたいことは、それもキミの人生のプロセスだったんだということ。
そして、そうやって悪態をつくような奴になんてなってほしくないということ。
自分を大切にするってことは、自分の人生を大切にするってこととほぼ同じなのだと思う。
自分の人生を大切にするってことは、自分の時間を大切にするってこととほぼ同じなのだと思う。
だから、そのプロセスもキミの大切な人生の一部。
そこから得られたものだってきっとあったはずだ。
決して人生はいいことばかりじゃない。でも悪い事だけでもない。
そこに目を向けよう。それを拾ってみよう。
