強制されるのが嫌だという人がいます。
あなたはどうですか?
制限されたり、強制されたりするのがいやだから、自由でいたいから起業するんだ。とか、旦那が束縛するから制限が多いからわたしらしくいられないんだ。とか、いろんな理由をもって現実に不満を感じていたり、またそういったものから解放された自分を想像して、そうなりたいと願っていたりと、様々でしょう。
でもですね、制限や強制そのものがいやだと思っているなら、あなたは本当の意味で生きている目的を見つけることはできない。
また、ココロの真ん中で、言葉にできない、とめどなく湧き上がってくる喜びを感じることもない。
やり切った!全力を出し切った!そんな幸せと充足感に包まれることもないでしょう。
だって、神さまがいたとして、神さまはわたし達にとっても強制的で、制限いっぱいです。
あなたは、時間が流れるのを許可しましたか?
あなたは、死を迎えることを相談されるでしょうか?
あなたは、今の自分の外見でいることを選択できたのでしょうか?
いいえ、すべて強制的です。
私たちには寿命があるように、肉体には限界があるように、私たちには制限があります。
それらは、きっと神さまが決めたものなのでしょう。
あなたがスポーツをやったことがあるなら、わかるはずです。
ルールという制限の中で、もてるベストを尽くすからスポーツは成立するのであって、
サッカーが、手で持って走ってもいい。何でもありだ。ってことだったら、観ていてもやっていても、何の楽しさもないでしょう。
スポーツなら審判がいて、ルールに反していないか絶対的な力をもって管理します。
そういう仕組みがあって成立しているのでしょう。
それらがなかったら何にも楽しくありません。
それと私たちの人生もきっとおんなじです。
強制や制限があるからこそ、やりがいがあるんです。
強制や制限をうけいれてこそ、生きがいを感じられるんです。
そんな視点で見つめ直してみるのもいいかもしれませんね。