「みなさんこんにちは 河本洋一です」

 3月末でストップしていたブログが再開したご挨拶・・・もありますが、実は昨年2020年5月11日(月)の遠隔授業開始1時間目の第一声が戻ってきたという意味でもあります。今や誰も大騒ぎしなくなった「緊急事態宣言」。昨年はこれにどのように対応するか、遠隔授業の準備には時間を要するだろう、ということで初回授業が5月11日だったのです。でも今回は少し様子が異なります。遠隔授業の要請は、まず札幌市から入りました。本学では4月27日から遠隔授業となり、それまでの3週間は通常の授業を感染症対策を施した上で実施していました。しかし、4月26日の札幌市長からの要請を受け、本学では完全遠隔授業に踏み切りました。苦渋の選択でした。

 

施設・設備費は正直にコロナ対策費と言った方がいい

「今年は行けそうだ」「感染症対策には慣れは禁物、気を引き締めていこう」「飛沫感染防止対策も万全にしよう」「塗料にも抗菌処理をしよう」等々・・・・これまでいったいどれだけの感染症対策費用を使ったことか。学生からは「施設・設備費だけでも返金して欲しい」という声があるのは事実ですが、それ以上に感染症対策に莫大な費用を投じているのが本学の実態です。ネット環境の改善もその一つ、数十名の学生が一斉に動画投稿サイトにアクセスしても快適に視聴できるネット環境の整備、各フロア毎のWiFiの増強等々、対面授業でも遠隔授業で培った智恵や苦情を活かし、授業の連絡、課題、出欠管理などはネット上の1箇所だけで完結するシステムを導入、その費用だけでも1000万近い費用が飛んでいきました。しかし、私共のような教育研究機関はコロナで緊急事態宣言が出たからと言っても、要請に応じるだけです。対策費用など国や道から出ることはありません。ましてや学生など、経済に影響を与えないからという理由からでしょうか、簡単に「遠隔授業にしてください」という要請が入ります。確かに、通学途中の人混みに感染リスクの高さを感じている学生がいるのは事実であり、そのような理由から遠隔授業を要請するのなら理解できます。しかし、大学のキャンパス内の感染症対策をいかに丁寧におこなったとしても、社会全体に本当に感染症に対する予防の意識はあるのでしょうか。もう諦めていませんか。

 

“ぼっち”でいれば感染リスクを減らせるが・・・

 ひとことで言うと、「人口密度を下げ、誰もがすでに感染しているという前提で粘膜(口、鼻、目)を守る」これに尽きるのです。手洗い消毒は当たり前のこと。これができないのなら、生きていくために必要な活動以外は全て休止するしかないでしょう。出社人数の7割削減と言われても現実的にはみなさん普通にお仕事されているのではないでしょうか。それとも交通違反と同じで罰則の適用がなければ守らないというのでしょうか。だって、最初の緊急事態宣言から1年経っもみなさんがリモート仕事に移行できないのなら、それが現実なんだと受け入れるしかありません。もしそうならば、混み合う時間帯の地下鉄やバスの運行本数を増やす方が人口密度を下げられるので感染リスクの低下になりませんか。でもそうするためには費用がかかります。だったら、町内会に使途を一任したコロナ対策費なんかばら撒かないで、人口密度を下げるために税金を使った方が理にかなっているのではないでしょうか。私の町内会は不織布マスクが2枚配られましたが、何人がそしてどなたが触れられたかわからないマスクは受け取れませんでした。ゴメンナサイ!

 

「お願いします」が「おはようございます」に聞こえる

 もう、ちぐはぐすぎて、辟易します。学生に代わって申し上げたいのです。頼みやすいところから頼んで感染症対策をするのではなく、科学的エビデンス(証拠)に基づいて、感染リスクの高いところからガッツリと対策をしてほしい・・・と。それは、学生ではなく、大人、そして、幼保小中高生も含まれます。個人情報保護という金科玉条の下、どこで感染が拡がっているのか、どのようにして感染したのかが伏せられ、年齢と性別だけを公表して何の意味があるのか。正しい感染症やワクチンの知識を啓蒙せず、ただ「お願いします」だけの行政。「お願いします」がまるで「おはようございます」のようなあいさつに聞こえてきます。

 対策をしたらどれくらい感染者数が減ったかなどのエビデンス(証拠)の提示も重要です。札幌市長の会見をYouTubeで見ているのはごく限られた人々です。あの場でのテレビや新聞記者からの質問への回答を加工して、ニュースや新聞記事は作られます。大変申し訳ありませんが、ニュースキャスターは不要です、あの会見と記者のやりとりを字幕をつけて流してくださる方が、よっぽど臨場感のある伝わり方になるでしょう。そして、わざわざそれを解説するコメンテーターも必要ありません。分からなければご担当の方にわかるまで質問すればよいのです。授業と同じです。

 

今は議員ではなく記者が市民の代弁者

 

 学生には「ひとりの質問、みんなの声」と言っています。きっとその疑問や質問はあなた以外の学生も感じている、だからまず声(今は文字)をあげなさい、と。

昨年の緊急事態宣言以降、私はテレビやラジオからは敢えて遠ざかっています。実は、今市民の声を代弁しているのは、今のコロナ禍に限って言えば、記者のみなさんです! YouTubeライブの記者会見を見ていると、新聞社名は伏せますが「そうそう、それを聴いて欲しかった」というズバリの質問をされる記者がおられます。会見中に記者に質問を伝える方法ってないのでしょうか。YouTubeのコメント欄を使うと誹謗中傷で汚される危険性がありますから、取捨選択は記者の皆さんにお任せするのです。複数の記者を送り込んでいる新聞社もあります。もっと科学的な目線で、情緒論に流されること無く、緊急事態宣言が実効性のあるものにならなければ、私は大学の授業のいくつかを反転授業※につくりかえ、学びの質の担保をしようと考えています。昨年度この方法を取り入れ、その効果については実証済みです。ただし、これは一つの方法に過ぎず馴染まない授業もあります。

 コロナ禍を乗り切るためには、感染防止対策に加えて、これまでの様々な価値観の転換も必要だと思うのです。その一つが、「わからないことはわからない、おかしいことはおかしい」と言える国民に生まれ変わることです。私はこのことを今の2年生から気づかされました。「性差、年齢差、立場の違い」を越えたコミュニケーションの不足を放置してきた日本の社会がツケが、今、コロナ禍の中で大きな渦を巻いています。

 

※【反転授業】

反転授業は、ブレンド型学習の形態のひとつで、生徒たちは新たな学習内容を、通常は自宅でビデオ授業を視聴して予習し、教室では講義は行わず、逆に従来であれば宿題とされていた課題について、教師が個々の生徒に合わせた指導を与えたり、生徒が他の生徒と協働しながら取り組む形態の授業である。(Wikipediaより)