昨日は息子のイスラム教勉強会
という方が
小学生以上の男のこのための「イスラム教に基づく、道徳的なお話」をしてくれるのですが、小1から中2くらいの男の子たちが毎回10人弱 集まります。
月一回で、ここ一年くらい通ってます。
私も、他のママも口をそろえるのですが、「子供が行きたがってて、楽しみにしてる」
なにも母親が行かなきゃ行けないオーラを全然出してないわけですが、みんな素直に心開くんですね。
大きい子は自分で電車乗ってくるのですが、小学生の場合は親が連れてくるので、少し離れたところで同じ話聞いてます。
で、どの子もすごい静かに礼儀正しく聞いてて、ほんとの「礼儀正しさ」で「先生が厳しいから、母親の目線があるから」ではないんです。一時間くらいの話が終わるとおやつを20分くらい食べて、その後10分ぐらい、友達同士でふざけていい時間があって解散、
そのバランスがまた、すばらしい。
昨日のトピックは「サキーナ」アラビア語ですが
意味は「安寧」「心の平静さ、安定、その継続性」~ずっとこころ穏やかでいる~ってことだと思います。
以下、先生の語り口調を私の視点で再現しました。
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「サキーナ」というのは心が落ち着いて静かなこと。いつに時代にも誰にでも大事なこと。
人の心は、誰でもいいものと、わるいものが ぐちゃぐちゃに混ざってる。それが人の心だよね。
いいものだけの人もいないし、わるいものだけのひともいないの。
割合として、いいものが多いひと、わるいものが多い人っていうのはいるよ。
だから 自分の中にいいものとわるいものがあるんだ、とわかって、いいものを大きく成長させること、そこを努力するんだよ。
で 感謝とか慈悲とか、慈悲っていうのは、困った人とかを見たときに あ、助けてあげようって思う気持ちのことだけど、
感謝とか、慈悲の気持ちが 沸くような状況のときに 人の気持ちの動きとして、自然に沸いてくる事。それが大事。
後は 忍耐。
たとえば 乗ろうと思ったバスが行っちゃって、次は30分待たないと乗れないとかね。今みたいに寒いときは、外で30分待つの嫌だよね。でもそこで いらいらしたってしょうがないから、忍耐して待てばいいの。
後は正義。
何かみて「こういうのは正しくない」と思ったときに、それを表せるかが大事。
******先生の話終わり。
「人の気持ちの動きとして 自然に沸いてくる事」
ほんとにそれが大事だと思った、昨日でした。
たぶん、忙しすぎると、「自然に沸いてる余裕」がないというか、あとは自分の思い、目的とかが強すぎるのも余裕がでない気がします。
って私が経験したからわかるんですが。
「正義」正しくないものを見たときにそれを表すっていうのは、すごくニュアンスとして難しいのですが
何かを見て、自分の基準で「正しくないと思うから、それを素直に言う、表す」というのと
自分の基準があいまいか、常識内で正しくないとされている事の基準で~単に正しくないと思う以上に嫌な気持ちというか、何が何でもそのままではおけない~くらいの強い感情があったら、それはただ表せばいいって事ではないと思います。
逆に自分のその強い感情の元とか、ほんとにそれは正しくないのか、正しい可能性はあるのか?
吟味して落ち着いてから表わす方が、相手にも周りにも伝わる気がします。
「サキーナ」心の平静さ
自分の心の中の いいものも わるいものも 混ざってる中で 「穏やかで平静であること」
私は そのように学びました。