私は、北京で産まれました。
念のため、断っておきますが
私、日本人です。
今日は、私の聞いた
20年以上前の北京の話をしようかと思います。
25年前
父の仕事の関係で、私の一家は北京に住んでいた。
たぶん3年間くらい。
私が産まれて七ヶ月で、一家は日本へ帰った。
なので、私は
北京のことは何も知らない。
今でこそ、北京オリンピックがあったりと
急成長を遂げている北京だけど
25年前は、それはそれは
大変だったそう。
北京での家は、外国人専用のマンションだった。
「外国人はここ以外に住んではだめ」
と、隔離されていたらしい。
そして、雇用を生み出すためだと思うけど
外国人は必ず、お手伝いさんを雇わなければならなかった。
なので家には、お手伝いさんがいた。
コックさんもいた。
そして、専業主婦の母もいた。
母に
「北京にいたとき、中国語は勉強しなかったの?」
と聞いたら
「教科書がつまらなくて、勉強する気が起きなかった」
と言っていた。
教科書は、政府指定の教科書しか使うことができなかった。
そして、その教科書の例文が
政治的なスローガンだったりするもんだから
勉強する気が起きなかったらしい。
私の六歳上の姉と、四歳上の兄は
現地の幼稚園に通っていた。
小さい子は、言語の取得がとても早く
姉は、すぐに中国語を話せるようになったらしい。
なので、日本人の子がいるクラスに回され
通訳担当となった。
通訳をするため、上の学年に上がることもできなかった。
そんな様子を見ていた兄は
中国語ができないフリをしていたらしい。
ずっと母は、兄は中国語ができないと思っていた。
しかし、ある日
母は、兄がお手伝いさんに
中国語で話しかけているところを発見した。
25年前の北京。
今の日本では考えられないことが
たくさんあります。
もしかしたら、今の北京でも
考えられないことなのかもしれません。
中国はやたらめったら
成長を遂げているそうじゃないですか。
産まれて以来、行ってないのでわかりませんが。
では、明日は
母の、北京での出産の話を書こうかと思います。