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OutlookでGmailを受信できなくなった

最近、OutlookでGMailのメールを受信できなくなりました。

原因は、5月末で「安全性の低いアプリのアクセス」が無効になったからのようです。

 

Googleアカウントの設定を変更して「アプリパスワード」を生成すると、受信できるようになりました。

 

設定手順

①Googleアカウントで2段階認証を有効にする。

 Googleアカウントの「セキュリティ」ページの「Googleへのログイン」の「2段階認証プロセス」を有効にします。

②アプリパスワードを生成する。

 Googleアカウントの「セキュリティ」ページの「Googleへのログイン」の「アプリパスワード」を選択します。

 アプリは「メール」、デバイスは「Windowsパソコン」を選択し「生成」を行います。

③アプリパスワードをOutlookに入力

 生成したアプリパスワードをOutlookに入力します。

 

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『基礎からしっかり学ぶC#の教科書』のコメント(1)

普段はC言語とC++を使っていますが、たまにC#のコードを見る時があります。

C言語からの類推で適当に解釈してすましていましたが、少しまじめに勉強してみようかと思い、

C#の本を読んでみようかと思います。

 

読む本は『基礎からしっかり学ぶC#の教科書 第3版』(WINGSプロジェクト 高江賢著、日経BP)です。

本屋で目立つところに置いてあったので、選んでみました。

読んだり、サンプルを動かしながら、気になったところをコメント入れていこうと思います。

 

・第1章 プログラミングの基礎 ~プログラミングの世界に触れる

 プログラミングとは、アプリケーションとは、とか基本的な説明から始まります。

知っている人は読み飛ばせばいいかと思います。

 C#がC++と異なる部分は、.NET Framework(現在は単に.NET)上で動作することですね。

共通中間言語(CIL)にコンパイルされ、共通言語ランタイム(CLR)で実行される。

あとは、Framework Class Library(FCL)というライブラリが用意されていて、これをうまく使ってプログラミングするところですかね。

 .NET FrameworkからNET Core、.NETへの経緯は勉強になるかも。実行環境の違いで躓くこともよくありますので。

 

・第2章 C#の基礎 ~はじめてのプログラムを書く

 まず、Visual Studio Comunity 2022のインストール。次に、簡単なコンソールアプリの作成になります。

 コンソール入力を出力する簡単なアプリになります。

 書かれているとおり実施すれば、動きました。

 この本のサンプルは基本的にコンソールアプリのようです。

 

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Visual Studio 2022 カスタマイズ

Visual Studio 2022の画面などのカスタマイズ手順です。

 

・配色テーマ

 メニューから[ツール]-[オプション]でダイアログを表示し、[環境]-[全般]-[配色テーマ]で設定します。

 選択肢は「青」「青(エクストラコントラスト)」「淡色」「濃色」です。

 それぞれこんな感じになります。

 

 配色テーマ「青」

 

 

 配色テーマ「青(エクストラコントラスト)」

 

 

 配色テーマ「淡色」

 

 

 配色テーマ「濃色」

 

 

 

・行番号表示

 ソースコードの行番号が表示したい場合は、メニューから[ツール]-[オプション]でダイアログを表示し、[テキストエディタ―]-[各言語※]で設定します。※C#、C/C++など。

 「行番号」にチェックを入れます。

 

 

・タブ幅変更

 ソースコードのタブ幅を変更したい場合は、メニューから[ツール]-[オプション]でダイアログを表示し、[テキストエディタ―]-[各言語※]-[タブ]で設定します。※C#、C/C++など。

 「タブのサイズ」「インデントのサイズ」を変更します。

 

 

 

改定

 2022/04/10 行番号表示、タブ幅変更を追記。

 

                                               Human ICE

Visual Studio 2022 Communityインストール

Visual Studio 2022 Communityをインストールしてみました。

Communityは個人向けの無償版ですが、Proffesionalと同じ機能が使用できます。

 

<インストール手順>

1.インストーラをダウンロードする。

 マイクロソフトのページ(https://visualstudio.microsoft.com/ja/downloads/)にアクセスします。

 コミュニティの「無料ダウンロード」をクリックします。

 インストーラ「VisualStudioSetup.exe」がダウンロードされます。

 

 

 

2.インストール

 インストーラのExeを実行します。

 「ワークロード」メニューで、言語などを選択します。

  ここでは「C++によるデスクトップ開発」「.NETデスクトップ開発」を選択しています。インストール後に追加することができるので、最初は使いそうな機能だけ選んでいます。

  画面右下のリストボックスで「全部ダウンロードしてからインストールする」を選択します。「ダウンロードしながらインストールする」だと通信環境が不安定だとうまくいかない場合があるらしいです。

 

 

 インストール実行中の画面

 

3.インストール完了と起動

 インストールが完了すると、下記の画面になります。

 「起動」ボタンをクリックすると、Visual Studio2022が起動します。「スタート」ボタンからも起動できます。

 

 起動直後の画面

  「コードなしで続行」を選択

 

 起動直後の画面(プロジェクトを開いていない状態)

  プロジェクトが無いので殺風景ですが、起動完了です。

  サインインしろなど表示される場合もありますが、しなくてもいいようです。

 

 

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菊地浩之 織田家臣団の系図

菊地浩之 織田家臣団の系図

 

 

 

タイトルどおり織田家の家臣団の家系図を延々解説しています。
家臣団の中で、かなり複雑な婚姻関係が結ばれています。
一般に実力主義と思われている織田家ですが、地縁・血縁がモノをいっている中世社会と変わりはないようですね。

実力主義に見えるのは、第5章で取り上げられている那古野譜代の面々です。
丹羽長秀とか佐々成政、前田利家などですね。
信長が那古野城にいた若いころに部下になった者たちですが、庶流・庶子が多いという特徴があって、
地縁・血縁では出世できそうにないタイプを取り立てています。
父・信秀から有力武将を与力に付けてもらえなかったという事情があったようで、
他に人材を確保する方法がなかっただけかも知れません。

信長が清須織田家を統一したあたりから、実力での抜擢が無くなります。
家臣団が大きくなると、従来通りの価値観でしか家中をまとめていくことはできなかったんでしょうね。

第1章 信長以前の織田一族
第2章 信長の時代
第3章 勝幡譜代
第4章 古渡・末盛譜代
第5章 那古野譜代
第6章 その他の清州譜代
第7章 外様の家臣

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渡邊大門 明智光秀と本能寺の変

 

 

 

来年の大河ドラマは明智光秀だそうで、この本もそれを見越した出版なんでしょう。
信頼できる史料を元に光秀の生涯を描いていますが、若いころはまったくわかっていないようですね。
史料に出てくるのは信長上洛のころからで、大河ドラマの前半はあまり信頼できない軍記物や
完全な創作になりそうな感じです。


第一章 本能寺の変の勃発
 まず、本能寺の変のおさらいですね。
 

第二章 光秀の出自と前半生
 光秀は土岐明智氏を名乗っていますが、それを裏付ける史料はないようです。
 土岐明智氏は、美濃守護の土岐氏の支流で、室町幕府の御家人です。
 結構名門な家柄なわけですが、それにしては光秀が高いポジションに居た記録がなく、
 父の名前が異なる系図がいくつかあることなどから、自称しているだけのようです。
 美濃の生まれなのは確かそうですが。
 若いことは越前に居て、越前朝倉氏に身を寄せた足利義昭にくっついてきた
 細川藤孝の配下になったのではないかという推測です。同時に義昭の配下でもあると。
 出自や若いころはよくわからないというのが正直なところですね。

第三章 京都における光秀
 信長が上洛し、義昭が将軍になると、光秀の名前が史料にでてきます。
 村井貞勝などともに京都支配にかかわっています。
 この時期の光秀の立場が話題の中心です。信長の部下だったのか、義昭の部下だったのか、両方の部下だったのか。
 義昭の部下と信長の部下が連署で発行している文書が多くあり、幕府と信長が強く連携した統治体制だったようです。 そういう事情もあり光秀がどちらの立場にいるか分かりにくいのですが、信長側で義昭との窓口役というのが、
 著者の見解です。
 信長と義昭の関係悪化で、板挟みになったらしく、窓口役をやめたいと訴えた文書が残っているようです。


第四章 信長と義昭の決裂
 浅井の裏切りから、比叡山焼き討ち、義昭の追放までが書かれています。
 義昭と信長が対立しますが、光秀は信長側に付いて戦っています。
 この辺で義昭との関係は切れたようですね。
 光秀とは関係ありませんが、比叡山焼き討ちや義昭の追放は、信長が覇王になるために
 積極的に行動したわけではないという評価が広まっているようですね。
 比叡山が歯向かったから仕方なしに、義昭がまじめに将軍職を務めなかったから、というふうに。


第五章 「鞆幕府」の成立と光秀の動向
 京都を追放された義昭が流れ着いた先が、鞆の浦です。
 毛利を頼ってのことですが、毛利は扱いに困っていたらしいです。
 一応将軍なので無下にはできないし、かといって織田と戦う覚悟もないしで。
 義昭は鞆の浦で人を集めたので、研究者の中には「鞆幕府」と呼んでいる人もいるそうです。
 集まったメンバーは、没落した元大名ばかりだったようです。六角とか北畠とか若狭武田とか。
 戦力になるようなメンバーではなく、毛利とか本願寺が頼りだったようです。


第六章 光秀の大躍進
 4章と5章はあまり光秀は出て来なかったんですが、六章でまとめて書いてあります。
 三好勢の一掃、丹波・丹後攻め、越前一向一揆討伐、本願寺攻め、雑賀衆攻め、と各地の戦場に出向いてます。
 丹波・丹後を平定した後に、光秀は丹波一国を任されるようになります。
 さらに、信長が京都で実施した馬揃え(軍事パレードのようなもの?)の担当者にもなっています。
 織田家の中で、光秀の地位がかなり上がっていたことを示していますね。


第七章 本能寺の変「陰謀説」に根拠はあるのか?
 本能寺の変にまつわるいろいろな説を取り上げて、根拠のないものを否定していきます。
 武田攻めのときの諍い説、家康饗応時事件説、家臣引き抜き叱責説、四国政策変更による板挟み説、
 信長直轄領・一門領の拡大への反発説、朝廷黒幕説などなど。
 軍記物など後世に書かれたものが多くて、学術的な根拠にはならないものが多いようです。


第八章 光秀の最期
 本能寺の変の後の光秀の行動について書かれています。
 けっこう行き当たりばったりのようで、計画的に起こした事件ではなかったように考えられているようです。
 光秀と連携している人がいませんからね。
 結局、著者としては、光秀の単独犯という結論だそうです。
 理由はよくわからないと、ということになるのですが、信長の外様武将には、
 裏切っている人が何人かいます。荒木村重とか、播磨の別所とか、松永久秀とか。
 光秀も信長についていくことに漠然とした不安があって、たまたまチャンスが来たので、
 やっちゃったというということなのかも知れませんね。
 

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和田裕弘 織田信忠―天下人の嫡男

織田信長の嫡男である信忠の生涯と人物像を、史料からたどる内容です。
本能寺の変で信長のおまけで討たれた、凡庸な二代目というイメージを覆す内容です。

 

 

 



序章 信長の陰に隠れて
 信忠と言えば、凡庸な二代目のイメージですが、それを裏付けるような史料は無いようです。
 本能寺の変で、二条城で自害したことが、後世からみると判断ミスに見えるから、そういうイメージになっているだけのようです。
 
第一章 信忠の一門衆
 1 生い立ち
  信忠が生まれたのは1557年だそうです。このころの信長は、まだ尾張統一の途中ですね。
  生まれたときは大大名の跡取りではなかったわけです。
  母親は生駒氏の娘で、一般には吉乃(きつの)と呼ばれていますが、はっきりとした史料はないようです。
  信長正室の濃姫に育てられたという逸話があるようですが、これもはっきりにしないそうです。
  濃姫の名前も没年もはっきりしていないようで、戦国の有名人である信長ですら、家族構成がはっきりしていないんですね。
 
 2 一族
  信忠の伯父・伯母(信長の兄弟・姉妹)と兄弟・姉妹(信長の息子・娘)について書かれています。
  信長は実力主義で家臣を取り立てた印象ですが、姉妹や娘を一門に嫁がせていて、血縁も使っているんですね。
  長島一向一揆で、かなり一門に討ち死にが出たので、使える一門が少なくなったところも、
  実力主義の印象になっているのかもしれません。、
  
 3 妻子
  正室は塩川長満の娘だそうです。誰だそれって感じですね。
  このころには信長は上洛を果たしているので、もっと有力な大名との縁談があってもよさそうなものですが。
  一応、武田家とは縁談があったそうです。ただ、武田家との関係悪化で破談になっています。
  子供は三法師(秀信)と忠信(秀則)になります。
  
  
第二章 父信長のもとで
 1 嫡男信忠
  信忠は元服して最初は菅九郎信重と名乗ったようです。その後信忠に改名。
  初陣は浅井攻めで16歳のときです。
 
 2 実戦経験
  初陣以降は、信長の大きな戦にはだいたい随行しています。長島一向一揆、長篠の戦いにも参戦しています。
 
 3 家督継承
  信忠単独の戦果として、岩村城攻めについて書かれています。
  難攻の山城を落としたことで、信長の後継者として地位を確立したとの見立てです。
  この後19歳で家督を譲られ、美濃と尾張を領地とします。ちょうど、安土城の建設が始まったころですね。
 
 
第三章 独り立ち
 1 織田軍の総大将へ
  松永久秀の討伐のあたりから、信忠が総大将として軍団を率いています。
  もちろん信長の指示で動いているわけですが、通信に時間がかかる時代ですが、現場判断も重要だったのでしょう。
  播磨攻め、荒木村重討伐、三木城攻めと主要な戦に出ています。
  
 2 武田攻め
  信忠の功績のハイライトが武田攻めですね。
  信長軍が進軍する前に決着を付けていますし、山城の高遠城を落としています。
  武田を滅亡させたことは大きな功績でしょうね。
  
 3 父信長との関係
  基本的には信長に従順な信忠ですが、武田攻めの前くらいに仲たがいをしていたようです。
  理由ははっきりしないようですが、信忠が能にはまりすぎたとか。
 

第四章 天下人の後継者
 1 権門との関係
  信忠と朝廷、公家、寺社との関係と官位について書かれいます。
  信忠は最終的に従三位左近衛中将になりますが、秋田城介を名乗っている文書が多いようです。
  秋田城介は室町時代には使われていなかった官位だったようで、東国担当を示すような意味合いがあったようです。
  
 2 家臣
  信忠の家臣団について書かれていますが、史料からははっきりしないようです。
  河尻秀隆が家老的な地位にあったようです。
  
 3 織田一族の総帥
  総大将として動くようになってからは、弟の信雄、信孝、叔父の信包などを傘下に入れて活動しています。
  信長の後継者としての地位を確立していますね。
  母が同じである信雄とは仲が良かったようです。
  

第五章 本能寺の変
 1 本能寺の変前後
  本能寺の変の直前は、信忠は堺に向かう家康一行を護衛して同行する予定だったんですね。
  それが、信長が毛利攻めに出るために京に入ったので、信忠も京へ合流して、
  親子が揃う形になったしまったということです。

 2 二条御所の激闘
  本能寺の変では、信忠は二条城に籠城の末、自害しています。
  本能寺と同時に攻められたのかと思っていたのですが、まず本能寺で信長が討たれ、
  その後に二条城が包囲されているんですね。
  そもそも信忠は妙覚寺に泊っていて、本能寺の変を知って、村井貞勝親子と二条城に逃げ込んだわけです。
  この時に京から脱出するチャンスがあったところが、信忠の評価が低い最大の理由でしょうね。
  
 3 信忠の人となり
  茶の湯、鷹狩り、湯治、武芸などについて書かれていますが、本能寺の変の後の章立てになっているあたりに、
  信忠がもっと長生きしていればどうなったかと著者が想像している雰囲気がある節です。
 
 4 周囲から見た信忠像
  周囲からの人物評が紹介されていますが、ひどい書かれようはしていないようで、
  当時の人からは凡庸な二代目とはみられていなかったようですね。
  
  
終章 織田家督の行方
 本能寺の変のあとの出来事がまとめられています。
 信忠の二人の息子は、関ヶ原で西軍について、歴史の舞台から消えていきました。
 織田家としてはなんだかんだで生き残った信雄の系統が本流になったようですね。


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岡田精司 神社の古代史

有名な神社の成り立ちについて書かれた本です。
一般向けのカルチャーセンターでの講義を書籍化したもので、読みやすいです。
1983~85年の内容なので、内容は少し古いのかもしれませんが。
岡田精司さんは、王朝交代論を唱えていた一人ですね。
古墳の集積地が移動しているのは、王朝が代わっているからだという考えですが、最近は下火のようですね。

 

 

 


第1章 日本の神と社
 一 古代日本の神々
  最初に日本の神々の特徴が述べられています。
   1.あらゆるものに神霊が宿る。
   2.神は人里には住まない。祭りの日だけやってくるものである。
   3.神は目に見えない。偶像崇拝は古代には無い。(平安以降にはある)
   4.神と死者の霊は別。個人の神格化は古代には無い。
  
  神は人里にはいないし、目に見えない。何を拝んでいたかを分類すると、下記になります。
   1.山とか島(無人島)
   2.岩とか樹木
   3.鏡や剣
   4.特に変わった動物(大きいとか白いとか)
  1は神のいる場所。2と3は依り代。4は神の使い。
  
 二 神社の成立
  あまり考えたことはありませんが、神社の定義が書かれています。
   1.祭場と祭祀対象
   2.祭る人の組織
   3.祭りのため建造物
  祭場は神が訪れる場所ですね。元々屋外にそういうエリアがあって、
  そこに後から建物が建てられて神社になっていくということです。
  最初は祭りの時だけの仮設だったようです。
  
第2章 三輪王権の神体山<大神神社>
 大神神社と書いて、「おおみわ」と読むそうです。
 奈良県桜井市にある神社で、本殿が無く、三輪山がご神体になっています。
 本殿が無く、山を拝む形で作られているところが、古いタイプの神社の姿を示しているそうです。
 
 大神神社の祭られているのは、オオモノヌシです。
 オオモノヌシの神話の読解きが書かれていますが、王朝交代論の観点からは、
 三輪王権の主神だったのではという主張です。


第3章 大王の守護神<伊勢神宮>
 江戸時代に伊勢参りがブームになりますが、古代においては、一般人お参り禁止だったそうです。
 「私幣禁断の制」といい、天皇家のためだけの神社ということだったそうです。
 
 伊勢神宮は外宮と内宮に分かれていますが、外宮は元々地元にいた神と考えているそうです。
 内宮にアマテラス大神を奉ったときに、地方の神が接待役になったのが外宮だという考えです。
 実際、外宮の御饌殿には、毎日食事が用意され、アマテラス大神が食べにくる設定になっています。
 伊勢地方がヤマト政権の勢力下に組込まれたときに、人間の力関係が、
 神々の役割に反映したのだろうということです。


第4章 航海と外征の神<宗像と住吉>
 一 朝鮮航路の守護神――宗像大社
  宗像大社は福岡県宗像郡にある神社です。九州本土と沖ノ島と大島の3か所に社殿があります。
  沖ノ島は島全域が神域とされ、立ち入り禁止になっていることが特徴です。無人島が神域になっている典型でしょう。
  祭られているはタコリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメの3女神です。
  九州から対馬経由で朝鮮半島に渡る航路にあり、航海を司る神になります。
  このため、地方神であるけど、ヤマト政権の強い庇護下にありました。
  遣唐使の廃止とともに重要度が下がって、元の地方神に戻っていくという経過だったようです。
 
 二 大和王権の航海神――住吉大社
  住吉大社と聞くと大阪の庶民的な神社をイメージしますが、元々は大和王権の航海神だったとのこと。
  昔の大阪湾はかなり内陸まで入り込んでいて、住吉大社のあたりが海岸線だったんですね。
  奈良から見るとちょうどこの辺が一番いい港だったということです。
  古代の船には住吉大社の神職が乗船していたらしいです。神頼みなしには航海には出られほど危険だったんでしょうね。
  


第5章 王権の軍神<石上神社>
 石上神社は奈良県天理市にある神社で、いそのかみと読みます。
 霊剣フツノミタマがご神体です。国譲り神話と神武東征神話に登場する剣ですね。
 石上神社が武器庫だったり、武器の製造工場だったりしたようです。
 ここで作られて武器にはフツノミタマの分霊が宿るということだったようです。
 
 もう一つの役割として、征服した氏族の神宝を補完する役割があったそうです。
 氏族が反乱を起こさないようにその神宝を、フツノミタマが見張っているということですね。
 百済からもらったという七支刀が石上神社には収められているのですが、
 フツノミタマに見張らせているということなんでしょうかねぇ。


第6章 東国の鎮守<鹿島・香取神社>
 鹿島神宮は茨城県鹿嶋市、香取神宮は千葉県香取市にあります。
 この二つの神社はセットだそうです。位置関係としては、霞ケ浦を挟んで南北にあります。
 古代の霞ケ浦は今よりも大きかったので、対岸という位置関係だったんでしょうね。
 鹿島神宮に祭られているのは、タケミカズチです。
 神話では出雲を平定した神ですが、なぜか鹿島に祭られています。
 元々は関東平定だったのが、出雲に変えられたのではないかという見立てです。
 
 香取神宮の方は地元の神だろうということです。鹿島神宮とセットになっているのは、伊勢神宮の
 内宮と外宮の関係と同じように考えているそうです。
 
 鹿島神宮の本殿は北を向いていて、つまりここが東北への軍事拠点だったということです。
 近畿から船で霞ケ浦まで来て、ここから陸路で東北へ進軍という感じだったんでしょうね。


第7章 古代の氏神の祭り
 これまでの章は国家が祭っている神社でしたが、この章は氏族が祭っている神社です。
 氏神というと現在では地域の神様ですが、古代においては血縁で結ばれた集団の神です。
 氏神は必ずしも祖先神ではないという主張がされています。
 たまたま生活の拠点としたところにあった、神聖な何かを奉ったことが始まりなのではということです。
 

第8章 神祇官の祭り――西院の神々と御巫の奉仕
 神祇官は律令制度の役所で、神社の統括をしていました。
 律令は中国から取り入れたものですが、神祇官は日本独自のものです。
 役割の一つが伊勢神宮へ勅使を務めることです。
 勅使が伊勢に出向くことで、祭りが始まるわけで、神祇官が伊勢神宮をコントロールしていたわけです。
 二つ目の役割が宮中の祭祀です。
 この辺の役割は現在も宮内庁がやっていることと似ていますね。


第9章 祈年班幣と国司の神祭り――律令国家の神社支配
 弊というのは神へのお供えものですが、勅使が持っていくのが奉幣、神主に取りに来させるのが班幣です。
 神祇官に各地の神主を呼び出して、お供え物を配っていたんですね。
 これが古代国家の地方神社支配の手段になっていました。
 もう一つが、神のランク付けです。12官位と同じように神にも「神階」をつけることで、
 地方神社を従えていたそうです。


涼月
 

山内譲 海賊の日本史

タイトルどおり日本の海賊を扱った本です。
平安時代の藤原純友、松浦党、熊野海賊、村上水軍などが取り上げられています。
文章はだいぶ固いですが、海上勢力を通してみる日本史は面白いものがあります。

 

 

 



序章 海賊との遭遇
 戦国時代の瀬戸内海を例に、船旅の途中に海賊と遭遇すると何が起きるのかが紹介されています。海賊は自分達のナワバリを通過する船には通行料を要求します。そしてそれを当然の権利と認識していたらしいです。
 海賊には小規模で拠点の付近で活動する勢力と、広い範囲で影響力を持っている大海賊がいたそうです。大海賊を雇って船に乗せる、または大海賊が発行した通行許可書を持つことで、小海賊は襲ってこなくなるというシステムになっていたらしい。


第一章 藤原純友の実像
 藤原純友といえば、東の平将門の反乱と呼応して、西で反乱を起こした人のイメージですが、平将門のつながりは特になかったらしいです。
 藤原純友は元々海賊を取り締まる側だったのが、恩賞が少ないのを不満に思って、軍事行動に走ったという解釈をされています。実力で要求を通そうとするのは中世にはよくあるので、現代風にいえば、大げさなストライキのような感覚だったのかもしれませんね。
 9世紀から海賊被害が記録されているそうですが、その中には、虚偽の海賊被害が含まれているのではないかということです。地方から中央に税物を送るときに、海賊被害に遭ったことにして、税収が少なかったのをごまかしたり、着服した例があるのではないかということです。
 虚偽報告はあるにしても、実際の海賊がいたわけですが、その出自はよくわかっていないようです。国制改革で失業した元官人が武装勢力化したというのが、一番ありそうな気がします。それが、同じように不満を持っていた藤原純友と結びついたのが、乱になった要因かも。


第二章 松浦党と倭寇
 松浦党は九州の西北部の松浦地方を武士団の総称です。契約を結んで「党」を作り、共通利益を守っていたようです。松浦海賊とも呼ばれていますが、領主として領地をもっているので、海軍力を持っている勢力なんでしょう。
 松浦党が海賊行為をしていたかは疑問とのこと。当時、持主のわからないものは、寺社の物になるという慣行があったようで、難破船の荷物を拾った住民が、寺社に渡さず自分の物にしていたようです。この行為が中央から見ると略奪に見えるのではとのこと。海辺の民と内陸の民の常識が違っていたんでしょうね。
 松浦党と倭寇の関係ですが、こちらも疑問のようです。後期の倭寇は中国人が中心で日本人は関係なかったようですし、前期倭寇についても、日本人・朝鮮人の混成チームだったようで、いちおう領主であり組織化されている松浦党の関与は無いのでないかとのことです。むしろ、領主の管理から外れた人達(日本人も朝鮮人も)が海賊化したのではないかと。


第三章 熊野海賊と南朝の海上ネットワーク
 南北朝時代に、熊野海賊が遠く鹿児島に攻め入ったエピソードが紹介されています。熊野海賊は南朝側で、北朝側の島津を攻撃した記録があるそうです。実態は熊野単独ではなく、瀬戸内の勢力も合わせた南朝側の連合軍だったようですが。一気に熊野から鹿児島には行けないでしょうから、補給のネットワークが機能していたんでしょうね。
 ここで、簡単に通行料の原理が紹介されています。熊野海賊が熊野三山の代理人のようなポジションにあって、海の神々への捧げものを徴収しているという理解です。陸の民が豊作を願う捧げものをするように、海の民が航海の安全を願うようなものですか。そこに介在することが海賊の原点だと。しかし、海運の発達とともに、海運業者から見ると、やっかいな存在へと変貌し、「海賊」と呼ばれていったようです。


第四章 戦国大名と海賊―西国と東国―
 戦国時代の東西の海賊が紹介されています。西は村上水軍ですが、3家に分かれているんですね。能島村上、来島村上、因島村上の3家です。有名な村上武吉は能島村上です。東は北条と駿河に進出した後の武田の水軍が紹介されています。東の水軍は、在地の勢力に加えて、西から招へいした勢力がいることが特徴だそうです。これが東西の水軍の違いになって、西は海賊勢力が大名に協力している形ですが、東は最初か家臣のような扱いになっていると。そのため、東側では通行料を取る海賊行為は行っていなくて、水軍として成立しているらしいです。
 秀吉の時代になると海賊行為は禁止され、海賊勢力は大名になったり、大名家の水軍担当して取り込まれたりして、姿を変えていったそうです。


終章 海賊の時代
 まとめとして、海賊を4つのタイプに分類しています。(1)略奪者としての海賊、(2)安全保障者としての海賊、(3)権力に反抗したことにより海賊認定されたもの、(4)水軍。まず、(1)と(3)が古くから存在し、それを抑える側の(2)と(4)が後の時代に出現するという時系列になります。権力とのかかわりにおいて、(1)→(2)→(4)とある意味出世していくものがあったようですね。
 最後に、海賊の拠点が、近代の造船や海運の発展につながっていることが示されています。明治になって、西洋技術を取り込むにしても、そこには何等か基盤となるものが必要だったということでしょうね。

 

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川端裕斗 『我々はなぜ我々だけなのか』

主にアジアに絞った人類史をテーマにした入門書です。
著者の川端さんは、作家・サイエンスライターで、専門家ではありません。
監修者の海部陽介さん(国立科学博物館)に取材して、まとめたようです。
専門家の難しい話題を素人が翻訳しているという感じです。

 


プロローグ 「アジアの原人」を発掘する
 インドネシア・ジャワ島で発掘調査を行っている海部さんのグループを、現地で著者が取材した様子が書かれています。「ジャワ原人」といえば、1891年の発掘ですが、今でも発掘調査が行われているんですね。


第1章 人類進化を俯瞰する
 まず、基礎知識として、「初期の猿人」「猿人」「原人」「旧人」「新人」の区分の説明があります。原人からが「ホモ属」扱いなんですね。
 続いて、現在定説になっている「アフリカ単一起源説」の説明があります。人類はアフリカで進化し、各段階でアフリカを出て各地に散らばったというものです。対立する説は「多地域進化説」です。こちらは、アフリカから出た人類が各自でバラバラに進化したというものですが、遺伝子解析ができるようになってから、支持が少なくなったそうです。


第2章 ジャワ原人をめぐる冒険
 ジャワ原人(元ピテカントロプス・エレクトス、現在はホモ・エレクトス)の発掘の歴史を追う章です。
 最初に発掘したのはオランダ人の「ウジェーヌ・デュポワ」で、1891年から1893年のことでした。場所はジャワ島の「トリニール」という場所です。ただ、発見してもすぐには本物だとは受け入れてもらえなかったそうです。認められるのは1920年代後半になって北京原人の発見や、ジャワ島の別の場所での発掘が進んだ後だそうです。
 次に発掘された場所が「サンギラン」でここからは大量の化石が発掘され、現在は世界遺産に指定されています。発掘が始まったのは1930年代から、ドイツ人の「ケーニッヒスワルト」が行いました。ここで多くの化石が出たので、デュポワの成果も認められたという流れです。
 現在では、「サンブンマチャン」「ガンドン」という場所でも発掘が行われているそうですが、いずれも「ソロ川」の流域です。河川堆積層から出土しているので、流されてきた骨が出土していることになります。そのため、人骨は見つかっても、生活痕はないので、ジャワ原人がどのような暮らしをしていたかはわからないんですね。


第3章 ジャワ原人を科学する現場
 ジャワ原人の化石は、いくつかの研究機関がそれぞれ持っていて、特にインドネシア内ではライバル関係にあるので、他の研究機関の化石を研究しにくいらしいです。でも、日本はどこともうまく付き合って、化石の精密なレプリカを作っていて、網羅的に研究しやすい立場にいるらしい。
 現在では、レプリカだけではなくて、CTスキャンで撮った3Dデータを使っているそうです。
 海部さんの研究成果が紹介されていますが、骨の形態の変化を調べた結果、ジャワ原人も長い年月で、「進化」しているとのこと。それだと、「多地域進化説」になりそうなものですが、進化の方向性が現代人に受け継がれていない点が分かったので、逆に「アフリカ単一起源説」への支持になるそうです。つまり、アジアでもアフリカと同じように人類は進化していたが、そのグループは絶滅し、アフリカから新たにやってきた人類(つまり現代人)に置き換わったということです。
 今後の海部さんの研究課題に、ジャワ原人と現代人の混血の有無が挙げられています。ネアンデルタール人との混血はDNAから分ってきていますが、ジャワ原人とは遠いんじゃないかなという気がします。


第4章 フローレス原人の衝撃
 「フローレス原人(ホモ・フロレシエンシス)は、2003年にインドネシア・フローレス島の洞窟で発見されました。全身骨格が残っていて、身長が1メートルぐらいしかなく小柄なことが特徴です。そして、脳も小さい。人類は進化ともに脳が大きくなっていくという常識に反した存在です。
 にさらに、フローレス島は、ジャワ島の東側で、どの時代においても海を渡らないといけない場所にあります。ジャワ島は氷期に大陸とつながっている。海を渡れたのはホモ・サピエンスになってからという常識に疑問を呈する存在でもあります。
 小型化には一応「島嶼効果」で説明がつくそうです。島嶼効果とは、生態系の上位に位置する動物は、孤島では餌が少ないので小型化する、生態系の下位の動物は天敵から身を隠す必要が少なく大型化するというものだそうです。
 小型化はいいとしても、「誰が小型化」したのかは、今も議論があるようです。想定されているのは、近隣のジャワ原人とジャワ原人より古くて小柄なホモ・ハビリスです。海部さんの研究では、ジャワ原人の方が有力のようです。
 面白いのは、フローレス原人の脳の縮小を説明するために、脳のサイズを精密に測りなおして、体のサイズの脳のサイズの相関関係などの過去の研究を見直しているところですね。新発見によって、従来の説が徐々に修正されていく、科学史の面白いところだなと。


第5章 ソア盆地での大発見
 2016年にフローレス島のソア盆地で、フローレス原人より古い化石が発見されたそうです。フローレス原人が約5万年まで、新発見の化石が約70万年のもの。発見されたのは下顎と歯だけですが、比較の結果、初期のジャワ原人とフローレス原人に類似性があり、その中間的な化石らしいです。そして、約70万年前の時点ですでに小型化しているとのこと。
 ソア盆地で発掘されている石器は約100万年前の地層から出土されているので、ジャワ原人が100万年前にフローレス島に渡り、30万年の間に小型化し、5万年前まで存在していという仮説になります。
 最近の発掘と研究なので、これからも新発見がありそうな場所ですね。


第6章 台湾の海底から
 台湾海峡から底引き網に引っかかって、人類化石が出てきて、澎湖人(ほうこじん、台湾ではポンフー)と名付けれられているらしいです。元々、動物の化石がよく網にかかっていて、古物商が引き取ってコレクターに販売していたらしいです。台湾の動物の研究者がたまたまコレクションを見て気づいたという偶然の発見です。見つかったのは下顎だけだそうですが。
 この澎湖人は、北京原人、ジャワ原人とはことなる特徴を持っていて、フローレス原人についで、「第四の原人」
ということになりそうです。中国の和県で出土している北京原人とはちょっと特徴の違う化石とも類似性があるようで、「和県人・澎湖人」というグループの可能性もあるらしい。
 海底から見つかったのは、氷期に陸地になっていたからで、それから推定すると19万年くらい前の化石ではないかということです。今後も発見があれば、教科書を書き換えそうな話です。
 水没しているといえば、東南アジアは全域がそうなので、今後も偶然に海底から何か見つかる可能性がありますよね。
 

終章 我々はなぜ我々だけなのか
 著者が気にしているのは、我々以外の人類の絶滅に我々はどうかかわっているのか、分かりやすく言えば、攻め滅ぼしたのか、ということですが、「接触」があったのかもよくわからないが答えのようです。ネアンデルタール人のDNAが現代人に残っているので、混血はあったようですが、限定的のようですね。
 現代人が割と均一なのは、拡散のスピードが速かったのと、環境に合わせて自身を変化させるのではなく、道具を変化させた点にあるようです。寒かったら毛皮を着たように。
 今後の研究の行方として、ジャワ原人のDNAの一部が、オーストラリアやメラネシアの人に受け継がれているのではないかという課題があります。第3章で出てきたジャワ原人との混血ですが、単純にホモ・サピエンスとの混血ではなくて、旧人類同士の混血から、さらにホモ・サピエンスとの混血という複雑なシナリオのようです。実証されたら面白い話です。

 

Human ICE

 

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