今日はフーラの命日です。

2018年3月30日から、丸7年の時が経ちました。

「もう」と「まだ」が入りまじった、複数な感情。


(亡きフーラ)


これから先の、僕の人生における最大の関心事は、死んだらフーラが待っていてくれるのか?ということです。

なぜかというと、ただ純粋に可愛くて、愛していて、逢いたいからです。

まあ、その時には、すでに妹のサーラも天寿をまっとうして、フーラと一緒に待っていてくれるはず、というのが僕の前提であります。


僕は、まだできるだけ長い時間をガンと共存し、生きて過ごしたいと思っています。

でも、この先に味わうどのような感動も、興奮も、最後に待っているであろう恐れと幸福感を上回ることはないと思っています。

今は、フーラが死んでしまった半年後に共に暮らし始めたサーラと、その健康を守りながらできるだけ長く、ただ笑って暮らしていきたいと願っています。

僕にとって、それが最上の幸せだからです。

犬と暮らしていると、数えきれないほどの喜びと、いくつかの後悔を味わいます。


後悔とは、もっとこうしてあげればよかったとか、なぜ気づかなかったのだろうとか、これで正しかったのだろうか、といった類いの切ない気持ちです。


でも、それらさえ、彼らと共に生きた大切な記憶でもあります。


もう、お留守番をしてさみしい想いをさせることもなく、片時も離れることなく、いつでも一緒にいられるようになった日が、フーラの命日です。


肉体は消えてしまったけれど、いつも一緒にいるのです。




(亡きフーラ)



まだ、形のある命として、その肉体と共に生きていることを祝福する日が、サーラの誕生日。


サーラも3月31日で15歳になり、ずいぶん肉体は衰えてきましたが、そのすべてが可愛くて仕方ありません。




(サーラ)


今は、フーラの命日も、サーラの誕生日も、どちらも祝祭にちがいないと、僕は信じています。


おめでとう、フーラ。


おめでとう、サーラ。


いつでもずっと大好きだよ。


どこまでもずっと一緒だよ。


今日は、サーラにケーキを買ってあげました。







腎不全になるかならないか、ギリギリのところにいるサーラゆえ、次の機会は来年の誕生日になることでしょう。

普段は食事に気をつけているので、ケーキを見ても最初はキョトンとしていましたが、そのあと美味しそうに食べてくれました。

やっぱり、僕にとってこんな幸せは他にない。

本当にありがとう。