この週末、サーラとくつろぎながら、大瀧詠一さんの曲を聴いています。
リアルタイムで聴いていた世代なので、今も聴くたびにしみじみとした気持ちになります。
2013年12月30日、大瀧さんが65歳にして大動脈解離で急逝された時には、とてもショックでした。
あれから、もう丸11年も過ぎたのですね。
早いものです。
僕は、この方が首都圏のご出身だとばかり思い込んでいました。
が、実際には現在の岩手県奥州市、当時の岩手県江刺郡梁川村という地域のお生まれだと知りました。
大谷君と同郷なんだなぁと。
そういえば、大瀧さんが創った「さらばシベリア鉄道」や「熱き心に」など、北国を描いた曲には心に響くリアリティーがありますね。
吹雪がやんだ夜の、冷たく澄みきった空気の中で息をしているような。
北海道から東京にクルマで帰る途中、気仙沼に立ち寄り、友人一家のお宅に泊まらせてもらったことがありました。
東北自動車道の一関インターからすぐだと思っていたら、山を超えて、また超えて、想像よりはるかに長い道のりで驚いた記憶があります。
東北の海岸線にある美しい町。
入江が外海から奥深くまで入り込んだ港、
港から続くこじんまりとした穏やかな街並み、
人々と美味しい食べ物。
懐かしい記憶たち。
東日本の時には、たいそう胸が痛みました。
日本中、まだ知らない場所だらけだよなぁ、、
誰しも、明日はどうなるかわからないのだから、もっとたくさんの土地を訪ねて、その土地の匂いと風を感じなきゃと思います。
大瀧詠一さんは、巨人軍の長嶋茂雄さんの大ファンだったそうです。
かつて、長嶋に捧げる曲を創っているんですよね。
「青空のように」という曲。
大瀧さんは恥ずかしがり屋で、大好きな長嶋のために創った曲だと、家族にもずっと秘密にしていたそうです。(BS-NHK 長嶋茂雄の世紀より)
もし彼が生きていたなら、同郷の大谷くんを見て、どんな想いを抱いたでしょう。
きっと、一生懸命に応援し、彼のために曲を創ったにちがいないと思うのです。
僕は、大瀧さんがつける曲名が思いつきます。
でも、それは、
秘密にしておかなきゃいけませんよね。

