
このところ、ブロ友さんの愛犬、愛猫の訃報に接することが多く、さみしい気持ちになります。
いつだって、新しい命が生まれ、航海を終えた命が旅立っていくのは避けられない自然の摂理だとわかっています。
それでも、身につまされるのです。
おそらく、14歳になったサーラに腎不全の兆候が出てきたことも、自らの感情に影響しているように思われます。
人は、自分の病気についても、愛犬の病気についても、当事者になって初めて本当の痛みを知るのです。
亡きフーラは、保護犬として7歳の時に迎えました。
18歳3ヶ月まで共に暮らし、旅立ちを見送りました。
最後の数年間は、腎不全と帳じりを合わせるために投薬をして、点滴をして、一日でも長く生きて欲しいと願う日々でした。
フーラの死から半年後、新たに8歳のサーラを保護犬として迎えました。
そして、今年の3月末、無事14歳を迎えました。
これまでの6年間は、健康について何一つ大きな心配をすることのない、輝くような時間でした。
サーラと、幸せを謳歌しました。
健康について不安を感じずに暮らせる日々は、かけがえのない幸せそのものです。
でも、先日の血液検査でサーラに腎不全の兆候が出た時、少し気持ちが変化しました。
再び、愛犬の病と折り合いをつけながら暮らす毎日が始まるのかと身構えているようです。
それが避けられないのであれば受け入れるという覚悟と、できることなら同じ道はたどりたくないという恐れ。
そのどちらもあるような気がしています。
ある意味、自分の病気のことより真剣かもしれません(笑)
大切に想う命に、ただ元気に生きていて欲しいと願います。
誰かの心の中に生き続けるとかじゃなく、今を生き続けて欲しいと願うのです。
たまたま生きているのであっても、運良く生きているのであっても、そんなのは何でもいい。
ずっと。
人も、犬も。
ずっと、元気でいて欲しいと願っています。
