昨日から、東京は急に寒くなりました。

おかしなくらいに暖かだった気候が、急に冬へとワープしたような感じです。

でも、今までの暖かさの方が異常だったのですよね。


(今朝のサーラ)


さて、、今日の話は愛犬ブログにはそぐわないのかもしれません。

が、それでもよろしければ、ということでお願いしたいと思います。


おそらく僕は、これまでの人生で多少の経験を積み、多少の知識も得てきたと思っています。

けれど、子どもの頃からどうしても解くことのできない謎があります。

それは、人は死んだらどうなるのか?ということです。

小学校低学年の頃だったでしょうか。

夜、ふとんの中で天井を見つめながら、「このまま、朝になっても目が覚めなかったらどうしよう」と怖くなることが度々ありました。

今は、子どもっていうのは、きっとそんなことを考えるものなのだろうと思っています。

時が経ち成長するにつれ、恐怖心は薄れていきました。

しかし、人(生き物)は死んだらどうなるのか?という疑問の方は、数十年経った今も、謎のまま残っています。

僕は、本当の自分とは「心」であって、「肉体」は心を乗せる乗り物だと捉えています。

もちろん、それを確信しているというよりは、その方が自分の感じ方に近いというレベルではあります。

肉体というのは物質ですので、クルマが故障するように予期せぬ故障(病気や怪我)をします。

整備を怠ったり、無茶な使い方をすれば壊れてしまうし、大切にしてあげても壊れることだってあります。

僕がガンになったのも、そういうようなことでしょう。

そして、肉体の主であるはずの心については、肉体のどこにあるのかも知りません。

脳も物質ですので、脳イコール心とは言えないと思います。

目には見えず、物質ではない「心」が壊れる理由も、僕にはわかりません。

いずれにしても、そんなことを考えていると、生き物は必ず死ぬという事実に行き当たります。

だから、魂とか死後の世界って本当にあるのか?という問いも生まれて来るのでしょう。

僕はこれまでの経験から、魂も死後の世界もあると信じています。

が、それは僕個人の想いであって、明確な証拠を持ち合わせているわけではありません。

だから本当のことは、自分が旅立って経験してみるまでわからないのでしょう。

全てが「無」になってしまう場合は、体感したくてもできないでしょうけど、、

もちろん、僕自身、普段からこんなことばかり考えているわけではないですし、暗い顔をして暮らしているわけでもありません。

でも、ガンを経験してから身近に考えるようになったのは事実だと思います。

本当は、誰しもいろいろなリスクと背中合わせで生きていて、ただ道を歩いているだけでも、いつどうなるのかわからないはずです。

だから、病気になって急に真顔になった自分はつくづく「能天気」だったんだなと思います。




今、サーラの背中を見ながら歩く幸せ。

愛犬が与えてくれる安らぎ。

この子に費やす時間や気苦労とひきかえに、僕はたくさんの愛をこの子からもらっています。

フーラとサーラと暮らして、よかったこと。

あえてつけ加えるならば、いつかは必ず死んでしまう人間として、あちらの世界にもよろこびの種をまいたことでしょうか。

愛犬たちにまた会える世界があるのなら、いつか行ってみたいし、絶対に会いたいじゃないですか。

そんな期待感のようなものを与えてくれるなんて、今を生きるこの動物たちは、なんてすごい力を持った生き物なんだろうと思います。

今日も、今を精一杯に生きているこの子たちの傍らにいて、ほのぼのとした幸せを感じる自分がいるのです。