皆さま、こんばんは。

このところ多忙で、また、一週間ぶりのブログ更新になってしまいました。

こちらのブロ友さんのリブログを拝見して、久しぶりに胸の痛みを抑えることができませんでした。

僕が読ませていただいたのが遅いので、おそらく多くの方がすでにご覧になっておられるのだと思います。

ですが、気持ちが収まらないので、書かせていただきたいと思います。



僕は、幼い頃から犬が好きでした。

いい歳になった今では、犬は僕の魂が過去からずっと一緒にいた友だち、仲間なのだと信じています。

今の僕の心の中には、幼い頃、共に暮らした白い雑種犬がいます。

まだ昔のことでしたので、外飼いの犬でした。

その暮らしの中で感じた楽しさも、後に感じた悔悟も含めて、「エス」という名前の雄の雑種犬が、僕にとって犬との暮らしのルーツでした。

今も覚えているのですが、何十年も前、近所の動物病院に母と一緒に彼を連れていったとき、僕は先生に「エスは、なに犬なの?」と訊いたことがあります。

そうしたら、先生は少し考えてから「日本犬だよ」と教えてくれました。

「そうか!エスは日本犬なんだ」

僕は、誇らしく思いました。

今にして思えば、先生は「雑種犬」という言い方をせず、言葉を選んでくれたのだと理解しています。

そして、大きくなって「日本犬」という犬種名がないと知った時にも、誇らしさが傷つくことはありませんでした。


(今夜のサーラ)


野犬の子どもが捕らえられ、片足の先がなく障害があるからという理由で譲渡には適さないと判断され、真っ先に殺されるというのは、いったいどういうことなのでしょう?

足に障害あっても、よい飼い主に恵まれて幸せに生きている犬、幸せに生きた犬はたくさんいるはずです。

それなのに、これが私たちの国、日本の考え方なのでしょうか?

日本人のやることなのでしょうか?

今の日本には、人間の子どもたちの未来のためにやらねばならないことが山積みしています。

だから、それらを最優先していかねばならないことは承知しています。

しかし、国の課題が山積みなのと、犬猫を平気で殺し続ける、この国の政治や民度の低さとは無関係だと思っています。

犬や猫は、自分の未来を自分で創ることができない弱い存在です。

そして、彼らは痛みや悲しみを知る命です。

だから、捕らえて殺すのではなく、捕らえるのなら「守る」のが人間の責任だと僕は思います。

誰かにサーラが殺されても器物損壊罪でしか裁けない日本の法律を、僕は容認できません。

殺人罪と同様に、殺犬猫罪や犬猫傷害罪が必要だと思います。

犬猫を主とした動物たちの命を守るために、国民の希望者だけからでも、税金を納めてもらうことはできないでしょうか?

確かに、犬猫の命を守るために全国民から税金を取ると言ったら、現在の日本では受け入れられないことでしょう。

でも、納めてもよいという国民から、その希望により月千円とかなら、可能ではないでしょうか。

そして、そこそこの財源になるのではないでしょうか?

任意の徴収だと財源として不安定だというなら、何年か資金を積み上げてから運用するのでもよいかもしれません。

未来が見えれば、日々、苦労を重ねている愛護センターの職員の方たちも、犬猫を守ることに活力が湧くのではないでしょうか?

何よりも一番大切なことは、「日本を犬猫を殺さない国にする」と決めることです。

絶対に殺さないと決めること。

殺したり危害を加えた者は、法律で裁かれること。

そこから、すべては始まると思います。

さらには、生体販売を禁止すること。

流行りの犬種なんてものが出てくる度に、その裏で一生、生むための道具として虐待され奴隷のように死んでいく犬猫が排出される国。

こんな国、ありますか?

このままでは誇りを持てない。

ドイツのように、シェルター(ティアハイム)で動物が守られる世界を夢見ます。

ドイツ人にできて、日本人にはできないという理由がないですし、心底恥ずかしいと感じます。


(今日のサーラ)


そして、動物と暮らすなら、何があっても最後までその命に寄り添わねばなりません。

このリブログにある無責任で自分勝手な飼い主は、何なのでしょう。

愛犬が求めているのは、高額医療でもなく、特別な食事でもなく、ただ愛する飼い主と一緒にいることだけです。

僕は、それを亡きフーラから教えてもらいました。

腎不全になったフーラを自宅で点滴や介護することは本当に大変でした。

が、末期になってもお留守番をさせていたにも関わらず、フーラはその最期の時まで懸命に命を燃やし、一生懸命にパパを見つめて神々しく生きてくれました。

フーラの看病をして寝不足で、自分が死んじゃうかもなぁと思ったこともありましたが、頑張ってよかったと思っています。

愛犬の看病疲れで死んだ男としてネットニュースに流れてもいいやと。

だって、愛犬一頭のために命を懸けれるって、僕にとっては誇らしいことだと思えたから。

たとえ、人が笑ったとしても。

自分の飼い犬を愛するって、そういうことじゃないのかね?

愛犬を見捨てた飼い主は、愛犬にたくさんの幸せをもらってきたんじゃないのかね?

病気になったから、大変で、臭くて、面倒でって、そんなの当たり前だろ。

こういう人間には、もう二度と犬を飼って欲しくないと心から思います。

因果応報という言葉を知らないのだろうか?




保護犬だったフーラと出会って10年間を一緒に過ごし、2018年に18歳と3ヶ月のフーラを見送りました。

その半年後、やはり保護犬だったサーラと出会い、いま、4年4ヶ月ほどが経ってサーラはまもなく13歳になろうとしています。

いま、サーラはとっても元気です。

パパは、昨年がんの手術を受けましたので、犬との暮らしはサーラが最後かもしれないと覚悟しています。

できることなら、サーラにはフーラよりも長生きして、一日でも長くパパのそばにいて欲しいと願っているのです。