皆さま、こんばんは。
いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。
このところ忙しく、一週間ぶりの投稿になってしまいました。
しばらく前から、心の中に浮かぶようになった気持ちがあります。
動物の肉を食べることについてです。
もちろん、ここで説教じみた持論を展開しようと思っている訳ではありません。
僕は、これまで豚肉も牛肉も鶏肉もラム肉も、美味しくいただいてきた人間です。
ところがいつの頃からか、彼らの生きている姿が脳裏に浮かぶようになり、そのことに少しずつ痛みを感じるようになってきたのです。
とはいえ、年がら年中そのようなことを思っている訳ではありません。
僕は菜食主義者でもありません。
動物愛護の精神から何かを主張したいとか、そういうことでもありません。
ただ、動物を食用に飼育し、屠殺し、その肉を過剰なほど、有り余るほどに流通に乗せて消費していく社会に、なんとも言えない痛みを感じるようになってきたのです。
それを生業として生きている人を責めたいとか、そういう意図はありません。
犬と暮らし、犬を愛し、愛犬の命の終わりを見たり、愛しく思ったりして生きているうちに、豚や牛も可愛いと思うようになったのかもしれません。
彼らも痛みを感じ、恐怖や悲しみの感情を持っているに違いないと、確信したからかもしれません。
「いただきます」は、「命をいただきます」の意味だと言いますが、命をもらうのであれば尊んでいただかねばならないと思います。
必要な量だけを、大切にいただかねばならないと思います。
人間は、歳を取るとだんだんそんなことを考えるようになるのでしょうか?
僕が、人間として少しは成熟したということなのでしょうか?
僕自身が病気になり、死について、それまでよりも考えるようになったからなのでしょうか?
思い返すと、幼い子どもだった頃、僕はアリを踏みつけて遊んでいた記憶があります。
純粋無垢であるがゆえに、子どもというのは残酷なものです。
これからを生きる幼い子どもたちには、ハンバーグというのはハンバーグという「物」であったり「商品」であったりする以前に、命を宿した動物の肉体であったことを正しく知ってほしいと思います。
そういうことを子どもたちに教えていくことでしか、動物の命を心から大切にし、共生していく社会は生まれないのだろうと僕は感じています。
それを子どもたちに伝えていくことが、僕たち大人が生きている間に、次の世代のためにやるべき仕事なのだと考えています。
今日のおやつ
京都三条 幸福屋のたい焼き
甘すぎなくて美味しい!


