皆さま、こんばんは。

いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。

いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。


(今朝のサーラ)

保護犬が幸せそうに笑っている姿を見ると、そこはかとない幸せにつつまれます。

かつて、あらゆるものをおそれ、おびえたり攻撃的であった保護犬たちが、人間と生きる幸せを知り、満面の笑みをたたえている姿、その写真や動画を見たりすると、僕はこの上ない幸せを感じるのです。

彼らには打算も何もないので、おそれも、よろこびも、かなしみも、あるがままの姿を見せてくれます。

その純粋さが、心へまっすぐに届くのです。


(サーラ)

フーラもサーラも、元保護犬。

亡きフーラは、共に暮らした10年間、いつも優しい笑顔を向けてくれました。

今を生きるサーラは、なんとも言えず不思議ちゃんなのですが、はっちゃけた笑顔が可愛い女の子です。

保護団体の方々の努力、預りスタッフさんの愛情によって、フーラもサーラも最初から人を信じることのできる、とてもいい子でありました。

犬は、世話をする人間の愛情を必ず感じとります。

どんなに時間がかかっても、愛情があれば、それは必ず伝わり信頼関係が生まれます。

そして、一度育まれた信頼は、こちらが変わってしまわない限り、決して壊れることはありません。

僕は、その一途さと健気さを愛します。

おそらく、犬たちの笑顔は、僕にとってかけがえのない宝物なのです。

「いいなぁ。幸せだなぁ」と心から思えること。


(サーラ)

そのような中、たまたま与えられた環境や、巡り合わせで、その子の犬生が最悪な方向に変わっていく現実もたくさん見てきました。

不幸なままで犬生を終えていく犬たちを、たくさん見てきました。

犬たちは、人間の鏡です。

よく、「この世の中には、人間の子どもでさえ不幸な子がいるのに、犬猫どころではない」という意見も耳にしますが、僕はそのようには思いません。

人間も動物も等しく幸せに生きられる社会を、私たちは目指すべきだと思っています。

日本においては、ペットショップでの生体販売の裏側で、仔犬を生む道具として、一生を身動きもできないゲージの中で使い捨てられて生きる犬たちがいる事実を、人々は知らねばなりません。

そのようなことをする醜い人間がいることも、知らねばなりません。


(サーラ)

そしてまた、人間はおろかな生き物ですから、武力で他国を侵略するという、この時代にまさかと思われる現実さえもが起こりました。

砲撃された街のがれきの中を、人と犬がとぼとぼ歩いている映像を見て、人間の残酷さを思います。

人間と共にどれだけ多くの犬猫たちが、あの国で死んでいったのだろうと思います。

この地球上で生命が繁栄することと、日本において動物たちが尊重され生かされていくことは、必ずどこかで繋がっていると僕は思っています。

異国で起きていることと、日本で僕らが今を生きていることは、必ず繋がっています。

彼らは、僕らなのです。

今日、幸せな保護犬が一頭でも生まれますように。

いつか、保護犬や殺処分という言葉が、日本から消えますように。

殺処分するための施設が、すべて廃棄されますように。

自分が実現させます、とは言えないけれど、

未来に、たとえ自分が生きていてもいなくても、必ず実現する日が来ると信じていたいと思います。


(サーラ)