皆さま、こんばんは。
いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。
どんなに微力であっても、殺処分の期限をつけられた子達を救う助けになればと、日々、皆さんのブログをリブログさせていただいたりしています。
そのたびに、なぜ、幸せな子と命の危機にある子という、こんなにも大きな隔たりが生まれてしまうのだろうと胸が痛くなります。
フーラやサーラは、保護団体さんを経て、いまはパパと一緒に暮らしています。
(フーラは、もうお空だけど)
保護団体さんには、とても感謝しています。
フーラもサーラも、そこそこ幸せに暮らしてくれている(いた)と思っています。
フーラやサーラは、保護団体さんに助けていただいて、とびきり運が良かったのでしょうか?
そして、殺されていく子たちは、残念なことにとびきり運が悪かったのでしょうか?
それって、なんなのだろう?と思うのです。
運が悪くて動物が殺されてしまう国なんて、僕はどうしても誇りに思うことができません。
動物を虐待したり殺したりする人間が、せいぜい器物損壊でしか裁けない国にも、誇りを持つことができません。
昨日や今日の森元総理、東京五輪組織委員会会長の発言に見るように、どうも日本人は高い美意識や潔癖性を持った国民であるにも関わらず、動物愛護やジェンダー問題については、あきらかに意識が低い後進国であると思うのです。
昨日の森さんの女性蔑視とも言える発言が、世界中を一瞬のうちに駆け巡り、配信されていると思うとゾッとします。
たぶん、欧米から総スカンをくらうだろうなぁ。
動物たちについては、、
運がいいから助かった命というのは、確かにあるのでしょう。
誤解を恐れずに言えば、それが悪いことだとは言わないまでも、とても良いことだとも言えないと思うのです。
命が、運の良し悪しで失なわれたり守られたりするとしたら疑問を感じませんか?
命を大切にする人々がいて、法律や制度を作り、命を守ろうとし、決して見捨てない。
たまたま救われたのではなく、救う意思や制度に基づいて必ず救う。
だから、生まれた命がその炎を消すときまで守られ、輝きを放ち、生をまっとうするのです。
僕らが愛する犬猫、動物たちが、命と運命を翻弄されていることに、強い痛みを覚えます。
必ず、変えていきたいと願っています。

