皆さま、こんばんは。
いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。
今日は、愛犬を亡くされた方々は、きっと多かれ少なかれ同じだろうなぁ、と思うことを書きます。
僕はよく、亡きフーラに話しかけます。
いつということもなく、
声に出すこともあれば、心で語ることもあります。
それは、朝のベッドの中だったり、おトイレの中だったり、サーラのお散歩中だったり、仕事の行き帰りだったり、仕事の休憩中だったり、家で食事をしている最中や、お風呂に入っている時だったりもします。
家の中や近所のお散歩道には、フーラの残像があります。
リビングにも、ベッドサイドにも、おトイレにも、写真立てのフーラがいて、僕を見つめてくれます。
家にいる時によくかけるのは、
「フーちゃん、いるの?」
という言葉です。
いま、ここにいるのかな?と思うから。
僕の心のそこここにフーラがいて、そんなフーラに話かけるのです。
家に帰った時には、「サーラ、ただいま。お留守番えらかったね。フーラお姉ちゃんと一緒にいたの?」と聞きます。
今のサーラとの幸せは、フーラが生きた日々の延長線上に共にあるのだという想いがあるのです。
フーラとの出会いと暮らしがあって、今のサーラとの出会いと暮らしがあります。
僕たちは、目に見えない糸でつながっているのだと感じています。
すべてはつながっている。
なぜだかよくわからないけど、僕にはそんな確信があります。
もちろん、今の暮らしの中では、サーラと話す時間が95パーセントを占めており、フーラに語りかける時間は残りの5パーセントくらいです。
フーラからサーラに渡されたバトンが、今の僕たちの暮らしを彩っているのです。
僕がフーラに語りかける時間を、5パーセントで済むようにしてくれたもの。
ひとつは、2年9ヵ月という歳月。
そして、もうひとつは、フーラの愛だと感じています。
まもなく、コロナ禍の街に、ささやかなクリスマスの時がやって来ようとしています。
フーラとサーラとクリスマスを迎えるよろこび。
肉体は滅びても、確かに僕たちは強くつながっているのです。



