皆さま、こんばんは。
いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。
今日は、、いや、今日もかな?
僕は、サーラと家にいました(笑)
毎年この時期になると、仕事のことについて、いろいろと考えねばならないのです。
今日は、音のないリビングでサーラと過ごしながら、考え事をしていました。
そうしたら、昨年の7月に亡くなった友人の言葉がよみがえってきました。
それは、「たくさんの人を切り捨ててきた」という言葉でした。
彼の闘病とその最期については、昨年の6月から7月にかけて何度かブログに書きましたので、以前から読んでくださっている方は、ご存じかと思います。
彼は、誰もが知っている総合商社の執行役員でした。
まだ元気に見えた彼と最後に食事をしたのは、約2年前、2018年12月のクリスマスのころです。
フーラが3月30日に旅立ち、サーラが10月6日にやって来た2018年。
恵比寿のイタリアンレストランで、学生時代の仲間が集まって飲んだ時、彼がその言葉を言ったような気がしています。
なぜ、彼があんなことを言ったのか、どんな想いで言ったのか。
あのとき、俺たちは何の話をしていたのか?
ふと、そんなことを思いました。
その時の彼は、もちろん楽しそうではなかったと記憶しています。
かといって、打ちのめされているといったこともなかったはずです。
「仕方がなかった」
そんな風に言っていたように思います。
グローバル化と言われる環境下において、僕たちは、切り捨てられる人間でもあり、切り捨てる人間でもあるのだと感じています。
もちろん、僕らは暗い話をしていたわけではありません。
流れのなかでの一瞬の出来事だったはずです。
他の仲間が、「あいつ、ガンになったって言ってたんだよな」と会食前、僕に話していました。
「本当か?どこのガンだよ?」
「わからない。あいつのことだからさ、本当かどうかも、よくわからないんだけどな」
そんな会話があったと思います。
その日から半年後に慶応病院で会った時、彼はもうベッドから起き上がることもできない状態になっていました。
僕は恵比寿で飲んだ晩のことを思い出していました。
中目黒に住んでいた彼は、都内で飲むと大抵タクシーに乗って一人で帰ってしまうのですが、その日は恵比寿から中目黒までのたったの一駅を、僕らと一緒に地下鉄に乗って帰ると言いました。
「おまえ、めずらしいな」
「たまには一緒に帰ってやらないと、おまえらがさみしがると思ってな」
そうして、僕らは駅までの数分を歩きました。
彼が唐突に、「俺な、将来、目黒区長選挙に出たいと思ってるんだ」と言いました。
僕は、「おまえなら、向いてるんじゃねーか。要領いいしな。俺は目黒区民じゃねーけど、万が一目黒区に引っ越すことがあったら、おまえに一票いれてやるわ」と返しました。
「だけど、、おまえ、なんで区長なんかになりたいんだ?」
「俺はな、、、」
そこで、彼がなんと答えたのか。
僕は、忘れてしまいました。
どうしても思い出せません。
なんてことのない、しょーもない答えだったのか、まとも過ぎて印象に残らなかったのか、それさえも思い出せないのです。
それでも、彼の言葉は単なる酔っぱらいのたわごとではなく、彼が埋めねばならなかったジグソーパズルのピースだったのだと今は思っています。
ただし、彼の口から発せられた目黒区長という仕事自体が、本当に彼の求めるものだったのか、彼の気持ちを表すものだったのかは、今もわかりません。
単に、彼の心を表す比喩に過ぎなかったのかもしれません。
彼には彼の、埋めねばならなかったピースがあり、僕には僕の、埋めねばならないピースがあるのです。
きっと、あなたにも。
六本木方面から恵比寿駅に入ってきた日比谷線は、酔客で混みあっていました。
男も女も、日本人も外国人も、車両にあふれていました。
僕らは、周りの酔客同様にどうでもいいことを話し、中目黒駅までの数分を過ごしました。
中目黒駅で東横線に乗り換える僕は、駅のホームで彼と別れました。
「じゃあな!」
そう言って微笑んで手をあげ、僕は彼の背中を見送りました。
彼が自分の足で歩いているのを見たのは、それが最後になりました。
今の僕が持っている、保護犬の命に向き合っていきたいと思う気持ちは、きっと僕にとっての大切なピースであるのに違いありません。
だから、これからも無理をせず、長く大切にしていきたいと考えているのです。

