皆さま、こんばんは。
いつも、フーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」にお返事できておらず、すみません。
僕は、ワンコやにゃんこの日々の暮らし、そして、その最期に、その子の置かれた境遇によって格差が生じてしまう日本の現実が残念でなりません。
ブログをやっていて、皆さまのブログを拝見していると、そこには多くの「幸せ」があふれています。
たとえ最期の別れであっても、悲しみの中に幸せのあふれた別れがたくさんあります。
それは、本当に素晴らしいことです。
そして、過去の境遇がどうであれ、今を幸せに生きている犬猫を見ると、ほっこりして心が癒されます。
しかし、かたやボロボロになって捨てられ、今まさに処分されようとしている子たちがいる現実は、それをも凌駕する痛みとなって襲ってきます。
それでも、ブログでそれらの厳しい現実を克明に知らせてくれる方たちには、心から感謝をしています。
なぜなら、僕らは本当のことを何も知らない、と思うからです。
いま起きている現実を知ること、関心を持つこと、目をそらさないことから、すべてが始まると思うからです。
僕には、日々の暮らしの中で、サーラ一匹を幸せにするのが精一杯かもしれません。
でも、この子さえ幸せならそれでいい、とは思っていません。
よい保護団体さんに救われ、責任感のある飼い主と巡りあった子が幸せになり、幸せな犬生をまっとうする。
もちろん、それは素晴らしいことだけれど、仮に飼い主とのご縁がなかったとしても、その命の大切さを祝福され、その犬らしく生き、そして旅立っていって欲しいと願うのです。
犬は、自分の犬生を自分だけの力で切り開くことができない弱い存在です。
人間の助けと理解がなければ、野良犬として生き抜くか、殺されるのを待つしかないのです。
僕たち人間は、犬や猫たちと、もうずいぶんと長い時間を共に生きてきたはずです。
そのことを忘れてはいけないと思うのです。
彼らを、運のいい犬、運の悪い犬というような区分けでより分けねばならないとしたら、それは大変おかしなことです。
僕たち人間は、太古より彼らを友とし、家族として生きてきたと想像します。
僕は、自らの魂に、犬との暮らしの記憶が刻まれていると感じる瞬間があります。
DNAに刷り込まれた、懐かしい記憶のようなものです。
懐かしくて、香りやぬくもりを感じる、魂の記憶です。
今の時代を生きる僕たち、この日本という国に縁あって生まれ落ちた僕たちは、どのように動物たちと共生していくのか?
ペットたちがあふれかえる現代の日本で、なぜあまりにもむごい境遇に生きる子が、こんなにも産み出され続けるのか?
そのシステムとは何なのか?
誰が、どこで、何を隠し、どんな利益を得ているのか?
誰が、ウソをついているのか?
解きあかしたいと思いませんか?
よく生きることは、よく死ぬこと。
よく死ぬことは、よく生きること。
すべての子が、よく生き、よく死んで欲しいと、心から願います。
犬たちを、子どもを生ませる機械のように扱い続けた人間には、報いがもたらされる社会でなくてはならないと思います。
僕たちに、その力が無いとしたら、いったい誰にあるというのでしょう?
これが、今日の僕の問いです。




