皆さま、こんばんは。
いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。
いただいた「いいね」や「コメント」にお返しできておらず、すみません。
下の動画は、昨晩、帰宅した時のサーラです。
パパの怪しげな猫なで声は、どうかご容赦ください。
さて、昨日の雨も、各地にたくさんの被害を出しました。
各地で、市街地の排水キャパシティを越えて水があふれだし、野山の吸水キャパシティを越えて崖崩れが起きたりしています。
昨日の多摩川も、かなり危ういところまできていたようです。
本当に、気候変動が急速に進んでいることを感じます。
これまでの日本であれば大丈夫だったことが、大丈夫ではなくなりつつあると感じます。
二子玉川では、かつて堤防のなかったエリアがあり、住民の一部の方々が、その結果として残されていた自然と景観を守る運動、つまり堤防建設反対の運動をしていました。
今回の氾濫のあと、その方々への誹謗中傷や嫌がらせ電話などが数多く起きていると聞きました。
とても悲しいことだと思います。
なぜなら、実際にはその方々の反対運動は実を結ばず、堤防は計画どおりに建設されていたからです。
たしかに建設前、そのエリアは住居のすぐ目の前に河原や中洲があり、鳥や魚や虫たちが生息していて、残せるものなら残したい自然、生態系がありました。
道路に立つと、対岸の川崎市側までが広々と見渡せました。
河原沿いの道には、大きな桜の木が何本もあり、春には見事な花を咲かせてくれました。
堤防建設が決まり、その太い桜の木々がすべて伐採され、残った切り株を見た時には、僕でさえ、何か大切なものを失ってしまったように感じました。
その後に建設された堤防は立派なものでしたが、とても味気ない風景をもたらしました。
道路に立つと、堤防のコンクリートと、その斜面に植えられた芝生以外は何も見えなくなりました。
しかし、今回の氾濫ではその堤防が機能し、そのエリアを原因とした氾濫は起きませんでした。
その意味では、堤防は役割を果たしたのです。
もし、台風19号の時にこの堤防がなかったら、このエリアは壊滅的な被害を受けていたと思います。
今回の台風19号で氾濫したのは、もう少し上流の、街の構造上堤防を作れなかった隙間のような部分からだったのです。
人の思い込みやデマの拡散、インターネットの弊害、そこから生じる悪意は怖いものだと思います。
僕自身は、12日の台風19号による被害を受けた際、そういったものとは逆に、近所の人々の助け合いや善意というものを、久しぶりに強く感じました。
それこそが日本人の良さなのだと、信じたいと思っています。
今後、台風は過去に比べて大きなものが常態化し、その通り道が変わるたびに、違う地域で想定していなかった被害が出るような気がいたします。
都市であっても、これまでは何もなかった場所であっても、いつ何が起こるかわからない。
そんな気構えを持って備えることが大切な時代になったということなのでしょう。
誰にとっても、他人事ではないということです。
何はともあれ、この週末、僕は一週間の疲れをいやしたいと思います。
(昨晩、帰宅時のサーラ)
だから、金曜の夜、サーラに会えた喜びに震えるパパの猫なで声だけは、どうかご容赦いただきたいと思うのです。
