(サーラ)

サーラを迎えて、あと1ヵ月弱で1周年を迎えます。

昨年3月30日にフーラを亡くし、半年後の昨年10月6日にサーラを迎えました。

飼い主が愛犬を亡くすという、責任ある飼い主であればいつか必ずせねばならない経験を、僕はフーラを通して体験しました。

フーラは言葉を話さぬがゆえに、喜びを全身で表し、いつも僕に伝えてくれました。

僕は、その存在を心から愛しました。

フーラの犬生の終盤は、腎不全との闘いの日々でしたが、それでも共に生きる喜びに満ちていました。

しかしながら、フーラに太い点滴の針を自ら自宅で刺した日々を、僕はもう一度経験したいとは思いません。

フーラには会いたいけれどもです。

いろいろな大変さや葛藤があり、フーラにも可哀想な思いを多々させましたが、それでも僕らの間には絆がありました。

だから、フーラの死は、僕を深い悲しみにつき落としました。

それは、とても暗くて深い落とし穴でした。

犬を心から愛し、愛犬の死を経験した方なら、みな、この暗くて深い穴に落ちたことがあるはずです。

ただ、涙が流れるのです。


(フーラ)


犬を亡くした飼い主のその後には、いくつかのパターンがあるように思われます。

もう犬を飼わない人。

時間をおいてから飼う人。

先に新しい子を迎える人。

人には、それぞれに事情がありますから、どれも間違いではありません。

僕には、サーラを迎えるまで半年の時間が必要でした。

割りと早いように感じられるかもしれないのですが、僕にとっては長く苦しい再生の時間でした。

それでも、また犬との暮らしに戻りたいという気持ちは一度も消えませんでした。

いま、サーラを迎えて本当によかったと思っています。

そもそも、子どものころから犬が好きだった僕ですが、子どものころ家にいた犬に対しては最期を看取ることもなく、興味を失っていたのです。

その後、家に迷いこんできた野良犬との暮らしを夢見たこともありましたが、半ば当然のことながら、叶いませんでした。

僕の心にあった切ない気持ちが、いつか大人になったら、自分が飼育した犬と暮らすのだという願いを育んでいたのです。

だから、フーラとサーラは、ただフーラとサーラであるだけではないのです。

いま僕はサーラの瞳の中に、フーラを、子どものころの飼い犬エスを、そして、今もまぶたにいる白い野良犬をも見ています。

心の中にいる子たちは、みな僕の心の中でつながり生きているのです。

サーラにとっては迷惑な話ですが、もちろんサーラは知るよしもありません。

そして、いまはサーラが可愛くて仕方がないのです。

いつか、僕にも運転免許証を返納する日が来ると思いますが、おそらくその同じころ、犬との暮らしも卒業していくのでしょう。

その日が来るまで、愛犬と暮らしていきたいと思っています。

犬を亡くされて、こんなに悲しいのならもう飼うのはやめようと考えている方へ。

あなたを見つめる命に心が震える日々を、平凡だけれども歓喜にあふれた日々を、あなたも、僕も、また一緒に歩いていきましょう。

こんな幸せをやめてしまうのは、人生の喜びを一つ諦めることだという気がしてなりません。


(サーラ)