皆さま、こんばんは。

いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。

いただいた「いいね」や「コメント」にお返事できておらず、すみません。


時の流れとは早いもので、2018年3月30日に愛犬フーラを亡くしてから、まもなく1年と4ヵ月が経過しようとしています。



(死期の迫っていた2018年3月8日のフーラ)



フーラが旅立ってから、昨年10月6日に保護犬であったサーラを新たに迎えるまでの時間が、たったの半年間であったとは、今も僕には信じられません。

それほどまでに、半年間の日々が強烈だったのです。

男のくせに、涙ってこんなに流れるの?

僕の偽らざる心境です。

すでに愛犬を亡くされたことのある皆さまは、そうそうと、強くうなずいてくださるものと思います。

また、今まさに悲しみのふちにある皆さまには、あなたは決して一人ではない、同じ悲しみにうちひしがれた仲間たちが、みな応援していますよと、申し上げたい。

そして、まだ愛犬を亡くしたことのない皆さまには、いつか七転八倒するような悲しみに向き合わねばならない覚悟を持ってくださいと、お伝えしたいと思います。

これは、決していま幸せの中にある方を脅かしているのではなく、愛犬との平凡に見える日々の中にある、かけがえのない幸せを大切にして欲しい、決して見失わないで欲しいという意味です。

こんなに心の痛むことがあるのか?

予想をはるかに上回る、痛烈な悲しみでした。

ある人は、もう犬を飼わず、

ある人は、僕のように時間をおいて飼い、

それも、半年あく人もいれば、5年あく人もいる。

ある人は、愛犬の死を見る前に兄弟を迎える。

ある人は、犬以外の動物の飼育や、保護犬、保護猫活動へと向かう。

いずれも間違いでなく、いずれの気持ちにも強く共感します。

みな、それぞれのやり方で悲しみと向き合い、それぞれの時間をかけ、乗り越えていくのです。


(フーラ)


もし、今、この笑顔にすぐ会わせてくれるというのなら、僕は神様に多くのものを差し出すことでしょう。

今はサーラがいてくれて、とても幸せな日々なのに、フーラを思うと切なさがこみ上げてきます。





(サーラ)



ああ、いつかサーラも逝ってしまったら、僕は一体どうなってしまうんだろう?

また苦しみを背負わねばならないことはわかっていたけれど、サーラと暮らす選択を無視することはできませんでした。

喜びのぶんだけ、悲しみもやってくる。

「そうだよね、、わかっているよ」と、僕の心は乗り越えていけるだろうか?

そうあって欲しいと、僕は神様にただ祈りました。




(フーラ)