皆さま、こんばんは。

 

いつもフーラとサーラを応援いただき、ありがとうございます。

 

皆さまからいただいた「いいね」にお返しができておらず、すみません。

 

 

(サーラ)

 

さて、今日は、犬とどこで出会うべきなのか、について考えてみたいと思います。

 

そのようなことを考え、ブログに書こうと思った理由は、以下のようなものです。

 

先日愛犬を亡くされた僕のブロ友さんがいるのですが、ブリーダーさんから新たな犬を迎える可能性についてブログに書いたところ、やや厳しいご意見をもらったとお聞きしたからです。

 

保護犬を救いたいという善意の方のご意見も、伝わり方いかんで人を傷つける可能性があることを危惧しています。

 

現在の日本で、飼い主が犬と出会う方法は、主に以下の5つだと思います。

 

①ペットショップで購入する。

 

②ブリーダーから購入する。

 

③保護団体から譲渡を受ける。

 

④愛護センター等の収容施設から譲渡を受ける。

 

⑤親族や知人などから譲り受ける。

 

僕の個人的な意見を述べます。

 

①ペットショップでの「子犬」の生体販売は日本からなくしたいと考えています。一部のペットショップが生体については保護犬の譲渡のみとしている取り組みに賛同します。

 

そのようなショップの経営が成り立つように支援することが、僕たちの役割であると考えています。

 

②ブリーダーさんの世界は、僕が正確に知らないことも多いと思うのですが、あえて言うならば、親犬や子犬の環境を整備し、肉体的精神的負担を適正に考慮し、社会性を育んで販売していく犬舎は何も問題ないと考えます。

 

その対極にある悪徳業者、親犬を一生檻に閉じ込め、子犬を生むための道具とするような非人道的な業者は、法で裁かれるべきであると考えています。

 

そのための法整備が必要です。

 

③と④は、日本で根付いて欲しいと思う方法です。

 

フーラとサーラも共に保護犬です。

 

彼らと暮らしてみて、保護犬だから負担が大きいとか難しいとかいったことはありませんでした。

 

だから、保護犬を避けないでほしいと思う気持ちがあります。

 

彼らが棄てられたからといって、彼らにその責任があるのではなく、捨てた人間に責任があるだけだからです。

 

しかしながら、保護犬には僕たちが出会う以前の暮らしがあり、その部分は人間の言葉を話さない彼らからは聞けません。

 

だから、彼らをよく観察してあげ、自分の思うようにならないことがあったり、想像と違っていたりするのは仕方がないと考えて、時間と愛情をかけ、理解しあえる環境を創っていくことも大切です。

 

それぞれの子の個性を受け入れるということです。

 

飼い主の側に愛情と根気があれば、必ず良い関係が築けます。

 

逆に、言うことを何でも聞く愛玩動物として見ていると、「こんなはずじゃなかった。保護犬はダメだ」というような誤った意見に至る可能性があります。

 

犬にはなにも責任がないことさえ理解できていれば、彼らを包んであげることができます。

 

フーラは、家庭犬として虐待されていたと思われる子で、人間の食べ物に対する執着のある子でした。

 

サーラは、元繁殖犬らしいのですが、夜になると物音に敏感になり、外敵を警戒するようなそぶりを強く見せます。

 

この子には、夜やってくるのは自分から何かを奪う「敵」とみなすような「トラウマ」があるように思います。

 

⑤については、特に意見はありません。

 

ただ、安易に親族や知人から譲渡された場合、覚悟のない飼い主の手に犬が渡り、こんなはずじゃなかったということが起きなければよいと思います。

 

このように書いてきましたが、結局のところ、犬の幸せはすべて飼い主にかかっているのです。

 

犬は、自分の飼い主を選べません。

 

そのうえで、僕は思うのです。

 

結局、保護犬であれ、ブリーダーの子であれ、ペットショップの子であれ、終生責任を持って面倒をみてくれる飼い主に出会えずに捨てられれば、その不幸さは一緒なのです。

 

憎むべきは、子犬生産マシンとされた不幸な親犬や、先天的な障害を持った子犬が生まれやすい交配を繰り返させる悪徳業者であり、さらには自分の思い通りにならない犬を平気で捨てる最低の飼い主たちです。

 

僕らにできることは、たとえ1匹であっても、出会った子を終生幸せにすることです。


 

病気になろうが、何がどうなろうが、捨てないこと。

 

 

それが成就できたなら、それで十分だと思うのです。

 
ペットショップでの生体販売はなくなって欲しいですが、ペットショップで犬を購入したり、ブリーダーさんから犬を購入した人を責めても、何の解決にもなりません。
 
むしろ、どのような出会いの形であれ、家族と決めた犬を絶対に捨てない飼い主を増やすことの方が大切です。
 
サーラが持っていたトラウマのようなものは、暮らしてみて初めて分かるものでした。
 
保護犬と暮らすということは、それらも含めて受け入れるということです。
 
僕にとって障害ではありませんでしたが、すべての人にとってそれが当然だとは思っていません。
 
だから、人に自分の意見を押し付けようとは思いません。
 
僕は、これからのサーラとの暮らしの中で、サーラをトラウマから解放したいと考えています。
 
でも、それは「忘れてしまえ」と言えば済むようなものではありません。
 
むしろ、平穏な日々を重ねていく中で、自然と育まれていくものだと考えています。
 
だから、犬への大いなる愛情を持った方々が、共に暮らしてみなければわからないようなトラウマを持った子と出会い、共に暮らすようになっていくこと。

それこそが、一番の願いであるといえます。
 
人も、犬も、共に暮らすことで幸せにならねばなりません。
 
人と犬の幸せな暮らしにとって必要なものは、なにがあっても捨てないという、人間側の「覚悟」だけです。
 
金銭の問題でもないのです。
 
お金をかけられなくて、医療を受けられずに犬が死んだとしても、最後まで愛され、見守られた犬は、ただ「幸せ」を噛みしめて逝くでしょう。
 
何でもっと薬をくれなかったんだ、治療をしてくれなかったんだなどと、彼らは思いもしないでしょう。
 
犬とは、そういうものです。
 
人は、自ら想い描く幸せな暮らしを考え、その中で自然な出会いを探せばいいのだと思います。
 
誤解を恐れずに言えば、ペットショップの子でもいいのです。

 

なぜなら、ショップで売れ残ってしまった子の末路は悲惨な場合が多いからです。

 
どのような形であれ、善良な飼い主と出会い、捨てられない子が増えればよいのです。
 
捨てられる子が減り、よい飼い主との新たな出会いを果たす子が増える。
 
その連鎖の中でしか、本当の解決は図れないと思うのです。
 
全能の人はいません。
 
すべての犬を救える人もいません。
 
だから、犬との出会い方を問うよりも、
 
最後まで大切な家族として寄り添うことの大切さを伝えていきたいと思うのです。
 
 

(サーラ)