皆さま、こんばんは。
こーたです。
時が、少しずつ僕を癒してくれているのを感じます。
あと2カ月でフーラの一周忌を迎えるところまで来ました。
フーラの死をただ悲しむだけでなく、忘れるわけでもなく、避けられなかった自然の摂理として、さみしさはさみしさとして、悲しみは悲しみとして、受け止められるようになりつつあります。
まあ、フーラは僕のベッドサイドの出窓にいて、さらに、リビングにもいて、いつも僕らを見ていますからね。
僕は、家に帰るとサーラを従えて寝室まで行き、スーツもコートも着たまま、のたうち回って喜ぶサーラと遊びます。
その最中に、必ずフーラの写真に向かって「ただいま」を言うのです。
フーラとつながっていることを感じる瞬間です。
帰宅時、玄関を開けると、サーラが一目散に僕に向かって走ってきます。
その瞬間に感じる幸せは、フーラとの暮らしでも、サーラとの暮らしでも、変わりありません。
至福の時です。
ただ、幸せなのです。
サーラの姿には、いつもフーラが宿っています。
しかしながら、サーラをフーラの代わりとして見たことは、一度もありません。
それぞれが、大切な命であり、かけがえのない個性なのです。
かけがえのない命と、かけがえのない個性は、尊重され、守られねばならない。
僕が、保護犬や保護猫が守られねばならないと考える理由でもあります。
犬や猫は、人と生きているのです。
共生しているのです。
フーラとサーラを大切に思うように、すべての犬猫が幸せであって欲しいと思います。
やんちゃ娘のサーラには、まだ伝わっていないかもしれませんが、お空のフーラは、間違いなくわかってくれていると思っています。
明日は、サーラとゆっくり過ごします。






