ある方のブログを見て、心が痛んだ。
今日の朝、8時半が殺処分期限のわんこ達への救助を求める呼びかけだった。
今はもう、とっくの昔に時間が過ぎている。
それを、さっき見たのだ。
あのわんこ達は、どうなったのだろうか?
写真に映った雑種犬たちが不憫でならない。
僕は、雑種犬が大好きなのだ。
子供のころの想い出の犬たちは、みな雑種犬であった。
そして、自分をわんこに置き換えるならば、確実に雑種犬である。
これは、差別的な意味ではない。
犬は、犬であれば、それだけでいいのだ。
全部、かわいいのだ。
僕が子供のころ愛した犬たちは、みな雑種犬だった。
僕も大人になり、保護犬の里親になるにあたって、ついトイプードルと暮らしたくなってしまっただけのことだ。
ちょっとかわいい子に、目移りしたようなもんだ。
もう一度言うが、犬はそれだけで、全部かわいいのだ。
ああ、本当に自分は無力だと思う。
みんなが助けたいのに、助けられない命があるなら、彼らは僕たち人間に、自らの弱さや無責任さを突きつけるためにつかわされた使者に違いない。
マザーテレサのように、尊い存在だ。
僕たちの喉もとに突きつけられた刃だ。
僕たちは、彼らの前でひざまづいて、許しを請わねばならないのだ。
忘れないで欲しい。
殺処分が間違っていると感じた者は、みな、当事者なのだ。
知ることは、すなわち、関わることだ。
関わった者は、みな、当事者だ。
目をつむって自分を欺いて生きるか、目を開けて一歩を踏み出すか、僕ら自身が選択することなのだ。
僕は、アリのように小さな存在であったとしても、当事者として生きたいと思っています。
僕は、犬が好きだから。
あなたなら、どうしますか?

