僕には、どうしてもよくわからないことがあります。

 

日本で、日々捨てられていく犬の数を見聞きすると、

 

社会性を持たない異常者がそれほどの人数いるとは思えないのに、

 

捨てられる犬の数だけは増えていくことです。

 

引っ越し先で犬を飼えない、

 

子どもが犬アレルギーだった、

 

同棲カップルが別れた、夫婦が離婚した、

 

ご老人夫婦のいずれかが亡くなられた、

 

吠え癖があって近所から苦情が来た、

 

介護や看病をしなければならない家族がいる、
 

お金がない、

 

いずれも、わからないわけではありません。

 

しかし、だからといって、仕方ないでは済みません。

 

犬は、自分で飼い主を選べないのです。

 

自分で稼いで、ご飯を買いに行くことはできないのです。

 

僕は、犬を捨てた人間が、せめて悔やみ、苦しみ、

 

その取り返しのつかない痛みを、一生背負い続けてほしいと思っています。

 

一生消えることのない十字架を背負って生きるなら、

 

その人は、何かの答えを、自ら見つけていくでしょう。

 

犬をアクセサリーか道具のように考え、捨てた瞬間に忘れる者がいるならば、

 

それは、人間ではないと思います。

 

しかし、捨てられる犬の数を見る限り、

 

それらの心なき人間たちは、普通の良き市民として、

 

僕らと共に暮らしているのだと思われるのです。

 

僕は、そのことに恐れをいだきます。

 

もちろん、我々はみな完全な人間ではなく、

 

自分も含め、すべての人が欠点を背負って生きていますが、

 

そこは違うんじゃねえのか、、、それだけはダメだろう、、、

 

そんなふうに思うのです。

 

それは、僕が犬や猫を好きな人間ゆえでしょうか?

 

僕たち一人一人にできることは、とても小さなことです。

 

しかし、想いを持った人間たちが連帯すれば、何かができると思うのです。

 

なによりも、犬や猫を飼うならば、その一生を守る覚悟をすることです。

 

時間とお金を使う覚悟をすることです。

 

大きな喜びを得るのと引き換えに、失うものがあると覚悟することです。

 

犬や猫と暮らすことで、失うものもあります。

 

それを想像すらできない人が、多すぎるような気がしています。

 

まずは、そばにいる一匹の一生を守ること。

 

本当は、それだけのことなのです。

 

犬も猫も、人間と同じで、歳をとれば多かれ少なかれ病気にもなるでしょう。

 

クスリを買えなくても、治療が出来なくても、

 

そばにいてあげるだけで、彼らは幸せなのです。

 

僕はそのことを、亡きフーラに教えてもらいました。

 

クスリも買ったし、治療もした。

 

だけど、そんなことはフーラにとって大した価値ではなかったと感じています。

 

ただ、そばにいたことだけは、フーラが心から理解し、喜んでくれたという確信があります。

 

 

 

 

 

 

たった体重3キロの小さな生き物が、僕にたくさんのものをくれました。

 

だからこそ、想うのです。

 

みんなが、自分にできる小さなことを重ねていけば、変えられると。

 

連帯していきましょう。

 

例えば、浅田美代子さんや杉本彩さんのような著名人が

 

自らの職業の利点を最大限に生かして活動されているのを拝見すると、

 

おそらく著名人であるが故の批判や嫌がらせなどもあるだろうと想像しますが、

 

その活力と本気さに驚き、共感、共鳴するのです。

 

意思があり本気な人に、人は共鳴し、心を打たれます。

 

いま、目の前にいるわが子を愛しているこの瞬間に、

 

ガス室で死んでいく子たちがいる。

 

すべては、つながっているのです。

 

そういったことに憤った自分が、次の瞬間には、

 

それらを振り切って、普段の生活に戻っていくことの無力さ。

 

しかし、僕らが寝ているときに、地球の裏側では人々が起きて活動している。

 

そのことを想えば、みんなが自らの持ち場で一歩ずつ歩みを進め、

 

誰かが休んでいるときには、自分や他の誰かが歩み続けていくと信じ、

 

そして、自分が休んでいる時には、

 

他の誰かが、歩み続けていると信じればいいように想うのです。

 

 

 

 

 

 

あと半月で、フーラが星になって、6ケ月が過ぎようとしています。

 

 

 

 

(保護時のフーラ)