皆さま、こんにちは。

こーたです。

あと1週間で、フーラが逝って、丸四ヶ月を迎えます。






最近の僕は、かなり平穏です。

驚くことに、急速に痛みを忘れつつあるような気さえしています。

痛みを忘れたというよりは、本能的に忘れようとしているのかもしれません。

そして、そのことに驚いている自分がおり、時折、そういう自分に対して、感情の揺り返しのようなものが襲ってきます。






悲しみが深かった分、急速に立ち直ろうとしているのか、思いのほか強い人間だったのか、もしくは鈍感で薄情な人間だったのか、自分でもよくわかりません。

ただ時折、強い動揺が起こるのです。

その時は、一気に感情が下降します。

人間は、痛みを忘れる能力のおかげで生きていられるように思っているので、今は普段の自分を責めるつもりもありません。

また、そういう自分を肯定しようとも思いません。

自分の感情の流れが、平凡なのか、特異なのかも、よくわからないのです。






だんだん、犬とどうやって暮らしていたのか、少しずつ忘れそうになっている自分がいます。

あの暮らしを恐れているのか、早起きする自信をなくしているのか、それもわかりません。

ただ、犬がいない今の生活ペースが、急激に馴染み始めているのも事実です。

とにかく楽ちんですから。






犬と暮らすなら、保護犬を迎えると決めていますが、あまり年齢のいった子は、次は難しいと思っています。

フーラを看取った日々に対するトラウマというか、あの痛みがしばらくは、僕には無理そうなのです。

あまりにも、つらすぎました。

精一杯、愛情を注いだし、自分にできることは、肉体的にも、時間的にも、金銭的にもやり尽くしたという気持ちはあるのですが、フーラを失ったという現実には、何のかわりもありません。

しばらくの間は、看取りは無しで生きていきたいのです。






でも、少し前に書いた、何年も前に犬猫を亡くしてから、もう飼うのをやめた僕の友人の言葉、「面倒くさい」とは、僕は言いたくないし、言わないと思っています。

もちろん、彼の言う「面倒くさい」は、単に悲しみの裏返しなだけですが。






いまは、足元を見つめて、フーラを見つめて、仕事に追われる日々を見つめて、もうしばらく歩いていこうと思います。

今はあまりの暑さに、休日も外に出る気になりません。

すべてを忘れてしまわないうちに、また、戻っていくところを見つけよう。

きっと、フーラが僕を導いてくれるだろうと思っています。






そうだよね?


フーラ!


いつだって


パパは


おまえが大好きだよ!