3月30日にフーラが死んで、三ヵ月が経過しました。


フーラは、18歳3ヶ月近くまで、よく生きてくれました。






フーラの最後の20日間は、大変な闘病になりました。


いつフーラが逝ってしまうか、帰ったら死んでいるのではないかと、毎日不安を抱えながら、駅から家までの道を歩きました。


僕の家に着く手前に、直進と右折、どちらに行っても同じ距離、あと100メートル位で家に着く分かれ道があります。






要は、まっすぐ行って右折するか、右折してから先を左折するか、それだけの違いです。


僕は、フーラの無事を祈って、最後の20日間、毎日、まっすぐの道を選んで帰りました。


なんの意味もないのですが、まっすぐの道を選んでいれば、フーラが無事でいてくれるような気がしていたのです。


願を掛けていたということなのかもしれません。


最後になった夜の帰り道も、そうでした。


いつフーラがこの世界からいなくなっても不思議ではない、と理解しつつ。



(最後の夜、午前0時過ぎ)


そうしてあくる日に、フーラは旅立っていきました。


フーラが死んだ当日、仕事から帰り、ぬけがらになったフーラと再会する直前にも、僕はフーラが逝ってしまったことを知らぬまま、まっすぐの道を必死になって歩いていたのです。






フーラをお空に帰した、今。


僕は、毎日、帰り道であの曲がり角までやってくると、必ず右に曲がって帰ります。


あの日から。


フーラがぬけがらになってしまった、その翌日からずっと。


まっすぐに行くことを、僕の心と体が拒絶します。






愛犬と暮らし、愛犬を亡くすとは、そういうことのように思うのです。






フーラ


パパは頑張って


向き合っているよ


知っているよね?


ゆっくり休もうな


フーラ