みなさま、こんにちは。
こーたです。
今日、フーラの個性について、改めて振り返っていたのですが、「ペットホテルに泊まれない子」であったなぁと、今更ながらに思いました。
そのために僕は、フーラと暮らした10年間、一度も海外には行けませんでした。
また、泊まりがけの仕事が、この10年間でたった一度だけしかなかった(入れずに済んだ)のも、幸いではありました。
もちろん、海外旅行に行けないことへの不満は、まったくありませんでした。
結果的にではありますが、僕はそれでよいと思っていました。
手のかかる子ほど可愛いというのは、本当だなぁと思います。
ずっとフーラのトリミングをしてくださったトリマーのマーさんが、お家でペットホテルもされているのですが、フーラを預かるのは厳しい、とおっしゃっていました。
フーラはいわゆる分離不安で、家での留守番ならば、10時間でも大丈夫だったのですが、一人で我が家を離れるとまったくダメでした。
しかし、犬を飼うということは、多かれ少なかれ、そういう弊害と受け取れなくもない事実を、受け入れる覚悟を持つことだと思います。
その子の性格だったり、保護犬の場合はトラウマだったり、そして、病気だったりと、いろいろな制約が生じていくものです。
それらをひっくるめて、犬を家族にするのだと思います。
そして、その時に飼い主は覚悟を試されるのです。
保護犬として救助される多くの犬たちが、シニアの年齢であったり、病気を持っていたりするのは、多くは覚悟のない飼い主による遺棄だからです。
一緒に暮らしてきたワンコを、歳をとったから、病気になったからと、なんで捨てられるのかなぁ?
僕の考えでは、ワンコもシニアになってからのほうが、味わい深いというか、ゆったりと寄り添いあえて、しみじみ楽しいと思うのですが。
そして、シニアになれば、多少は病気になるのも当たり前ですよね。
人間と一緒ですからね。
また、引っ越しや旅行に行けないことを理由に捨てられた犬を見ると、本当に不憫でなりません。
彼らの飼い主だった人間には、命あるものを飼育する資格はありません。
そういった輩には、二度と犬を飼わないで欲しいと願うのです。
そして、罰則も定めねばなりません。
そもそも、完全なワンコなんているわけないですよね。
いや、見方を変えれば、本来は僕らもワンコたちも、ただ生きているだけでも奇跡ですよね?
彼らにとって、ワンコは家族ではなく、アクセサリーか、かわいいおもちゃなんでしょうか?
愛すれば応えてくれる、こんなに愛しい存在は、他にないなぁと思うのだけどなぁ。
僕はといえば、保護犬の中からフーラの妹と呼べるワンコと巡り会う日が、いつかやって来たらいいなと、漠然と思っている感じです。
でも、今は心が虚脱状態のため、自然とそういう気持ちになるまでには、まだずいぶんと時間がかかりそうです。
そしてまた、あえて言うならば、フーラの世話をした最後の闘病の切なさ、苦しさと、フーラを亡くしてから現在も続く、きっつい喪失感を考えると、もう一度自分がそれに立ち向かえるのか、正直、自信がない部分もあるのです。
まあ、今はあまりむつかしく考えても仕方がないので、時の流れに身を任せてみようと思っています。
フーラの一周忌を迎えるころ、僕はどんな心情になっているのかな?
フーラと暮らした、あの幸せな日々。
かけがえのない、人生の宝物でありました。
(2010年6月3日のフーラ、おやつガン見)
あぁ、かわいいなぁ、、
フーラ




