みなさま、こんにちは。

こーたです。

今日、フーラの個性について、改めて振り返っていたのですが、「ペットホテルに泊まれない子」であったなぁと、今更ながらに思いました。


(2008年6月1日のフーラ。我が家に来て半年。アルマさんの卒業犬会で)


そのために僕は、フーラと暮らした10年間、一度も海外には行けませんでした。

また、泊まりがけの仕事が、この10年間でたった一度だけしかなかった(入れずに済んだ)のも、幸いではありました。

もちろん、海外旅行に行けないことへの不満は、まったくありませんでした。

結果的にではありますが、僕はそれでよいと思っていました。

手のかかる子ほど可愛いというのは、本当だなぁと思います。


(2008年6月1日のフーラ)


ずっとフーラのトリミングをしてくださったトリマーのマーさんが、お家でペットホテルもされているのですが、フーラを預かるのは厳しい、とおっしゃっていました。

フーラはいわゆる分離不安で、家での留守番ならば、10時間でも大丈夫だったのですが、一人で我が家を離れるとまったくダメでした。

しかし、犬を飼うということは、多かれ少なかれ、そういう弊害と受け取れなくもない事実を、受け入れる覚悟を持つことだと思います。

その子の性格だったり、保護犬の場合はトラウマだったり、そして、病気だったりと、いろいろな制約が生じていくものです。

それらをひっくるめて、犬を家族にするのだと思います。


(2008年6月1日のフーラ)

そして、その時に飼い主は覚悟を試されるのです。

保護犬として救助される多くの犬たちが、シニアの年齢であったり、病気を持っていたりするのは、多くは覚悟のない飼い主による遺棄だからです。

一緒に暮らしてきたワンコを、歳をとったから、病気になったからと、なんで捨てられるのかなぁ?

僕の考えでは、ワンコもシニアになってからのほうが、味わい深いというか、ゆったりと寄り添いあえて、しみじみ楽しいと思うのですが。

そして、シニアになれば、多少は病気になるのも当たり前ですよね。

人間と一緒ですからね。

また、引っ越しや旅行に行けないことを理由に捨てられた犬を見ると、本当に不憫でなりません。

彼らの飼い主だった人間には、命あるものを飼育する資格はありません。

そういった輩には、二度と犬を飼わないで欲しいと願うのです。

そして、罰則も定めねばなりません。

そもそも、完全なワンコなんているわけないですよね。

いや、見方を変えれば、本来は僕らもワンコたちも、ただ生きているだけでも奇跡ですよね?

彼らにとって、ワンコは家族ではなく、アクセサリーか、かわいいおもちゃなんでしょうか?

愛すれば応えてくれる、こんなに愛しい存在は、他にないなぁと思うのだけどなぁ。


(2009年6月7日のフーラ)


僕はといえば、保護犬の中からフーラの妹と呼べるワンコと巡り会う日が、いつかやって来たらいいなと、漠然と思っている感じです。

でも、今は心が虚脱状態のため、自然とそういう気持ちになるまでには、まだずいぶんと時間がかかりそうです。

そしてまた、あえて言うならば、フーラの世話をした最後の闘病の切なさ、苦しさと、フーラを亡くしてから現在も続く、きっつい喪失感を考えると、もう一度自分がそれに立ち向かえるのか、正直、自信がない部分もあるのです。

まあ、今はあまりむつかしく考えても仕方がないので、時の流れに身を任せてみようと思っています。

フーラの一周忌を迎えるころ、僕はどんな心情になっているのかな?

フーラと暮らした、あの幸せな日々。

かけがえのない、人生の宝物でありました。


(2010年6月3日のフーラ、おやつガン見)


あぁ、かわいいなぁ、、

フーラ