みなさま、こんにちは。
こーたです。
3月30日にフーラが逝ってから、
あと1週間で、
1ヶ月が経とうとしています。
しかし、僕の感情としては、
まだ1ヶ月も経っていないのが
信じられない気持ちです。
あまりにも、この1ヶ月間が
濃い時間であったため、
感情面ではいまだに
安定を取りもどせないで
いるのですが、
時間という単位で見ると、
はるか昔のことのようにさえ
思えるのです。
良くも悪くも1ヶ月前、
特別な時間を
フーラと僕は
過ごしたからだと思います。
いつ終わりがくるのかを、
すでに知っている
今にして思えば、
フーラに
もっとしてやれることが
あったのではないか、
ああすればよかった
というような、
後悔に近い感情が
湧いたりする時もあります。
しかし、あの当時は、
精神も肉体もフーラのために
死にもの狂いで酷使していました。
徹夜の看病が
続きすぎていたため、
フーラが死んでしまったあとも、
毎朝5時前に
目覚めるようになりました。
また、
どんなに疲れていても
寝不足でも、
5時間以上は
眠れなくなってしまいました。
そのせいか、
落ちてしまった体重が、
食べても戻りません。
成人病の予備軍で、
医師から体重を落とせと
言われていた僕にとっては、
良いことなのかもしれません。
ちょうど、
今日、24日あたりから、
フーラが最期を迎える30日まで、
苦しみながらも
フーラと僕は、
最後の力を振り絞って、
命を燃やし尽くす日々を
駆け抜けていったのだと思います。
本当に犬とは、
不思議な存在です。
僕にとってフーラは、
決して取り替えのきかない、
唯一無二の存在でした。
1週間、ほとんど寝ずに
看病するに足る、
大切な存在でした。
ある意味、
命をかけるに値する
稀有な存在でした。
おそらく、
真に、犬を家族にしている人は、
みな、同じ気持ちなのだろうと
思います。
言葉でコミュニケーションが
取れないかわりに、
言葉を超越した絆を
育んでいたのだと思います。
愛しいとは、こういうことか。
命を慈しむとは、こういうことか。
いま、フーラを思い出し、
毎朝、毎晩、
仕事中の昼食の時でさえ、
そのような感情が
湧き上がってくるのです。
世間の中では、
犬1匹の生き死にで
いまだに
感情を揺さぶられている僕は、
滑稽な存在なのかもしれません。
しかしながら、
僕にとってフーラは、
たかが犬、
されど犬でありました。
犬とは、
これほどまでに、
愛しい存在になり得るのか、
唯一絶対の存在になり得るのか、
それを僕に教えてくれた子。
それが、フーラでありました。
1ヶ月前の最後の1週間。
今も思い返すと、
心臓をわしづかみにされたような
激しく苦い感情が
襲ってきます。
しかし、
最後まで、
僕を見つめながら
生きようとしたフーラを、
最後まで、生きるために
闘い続けたフーラを、
僕は誇りに思いつつ、
これからの1週間、
フーラの魂を讃え
フーラの魂に寄り添いながら、
過ごしていきたいと
思っています。
僕の
唯一無二の犬、
愛しく美しいフーラへ。








