みなさま

加藤フーラを、

いつも

応援していただきまして、

ほんとうに、

ありがとうございました。

フーラは、

今日の昼間 14時過ぎに

お空へ旅立って行きました。

僕は、死に目に

会えませんでした。

仕事の予定を

可能なかぎりキャンセルし、

朝10時半まで

家で看病してから、

再び14時40分に

家に戻ったのですが、

フーラは、もうすでに

亡くなっていました。

でも、身体は

まだ生きているように

とても温かく、

死後硬直も、全然

始まっていませんでした。

僕が、あと30分

早く帰れたならと、

残念でなりません。

しかし、

僕とフーラは、

ここに至るまでに

精一杯、

時間を大切にしてきました。

僕らには、

固いきずながありました。




これは、今朝の5時44分

亡くなる8時間半ほど前の

フーラです。

僕は、

もう頑張らなくていいと

フーラに伝えました。

フーラが、

僕のために頑張っている姿が

痛々しかったし、

僕自身、2昼夜、

全く寝ておらず、

気力も体力も、ともに、

限界に近づいていたからです。

僕はフーラに、

将来、僕が死んだら、

必ず天国で待っていて欲しいと

伝えました。

パパは、

フーラが待っていてくれるなら、

死ぬのが、

全然こわくなくなったよと

伝えました。




上と下の写真は、

僕が撮った

生きているフーラの

最後の姿です。

今朝、10時13分

亡くなる4時間ほど前、

僕が家を出る直前の

フーラです。




この時、

パパはお仕事に行ってくるから、

必ず待っているんだよと

伝えましたが、

心の中では、

もう無理しなくていいよと

言っていました。

フーラは、ほんとうに

ぼろぼろになるまで、

ただ純粋に、

生きようとしてくれたからです。




これは、今朝

午前4時半。

亡くなる10時間くらい前の

フーラです。

この時点で、

息づかいはとても荒々しく、

いつ死んでも

おかしくない状態でした。

フーラは、

もう間もなく死ぬだろうと、

僕がさとってから、

例えようもないほどの

苦しげな息づかいの中で、

なんと14時間以上も

闘ってくれました。




そして、上は、

旅立った直後の14時52分。

まだ、温かい

フーラの亡きがらです。




きれいな服に

着替えさせました。

まるで、

眠っているみたいでしょ?

そして、いま。




フーラは、

この1ヶ月、

いや、発作を起こして

大騒ぎになった、

3月10日以降だけでも、

僕に、一生分の

思い出を残してくれました。




あさって、

日曜日の午後、

フーラは、お空にかえります。

時間が決まったら、

明日、ブログで

お知らせいたします。

もし叶うならば、

フーラを愛してくださった

日本中の、世界各地の、

みなさまの想いに見送られて

旅立つことができますように、

願わずにはおれません。




僕は、

自らの死の直前になってさえ、

けなげであった

この瞳を、

フーラのけなげな瞳を、

死ぬまで

忘れることがないでしょう。

ほんとうに、

ほんとうに、幸せな

フーラとの10年間でした。




いつの日か、

僕自身が旅立つ日が来たなら、

僕は胸のうちで

こう叫ぶでしょう。

「さあ、ついに、

フーラに会える日が来たぞ」



フーラ

ありがとう

ありがとう

君は、僕の人生の宝物だよ。

ありがとう、フーラ。

僕は、君を、

いつまでも、いつまでも

永遠に

愛しています。