父の一周忌を迎える。
母の十三回忌は、
昨年六月に終わった。
世間では、
わりとよくある話のようだが、
母を送り、父を送る中で、
僕は一度も
涙を流したことがない。
随分と親不孝な人間だと、
自分でも思う。
しかし、
無理やりに泣いたところで、
なにも意味はあるまい。
親のために
涙を流すこともできない
自分ではあるが、
最近、ふと
父を思い返す時がある。
そして、考える。
自分はこれまでの人生で、
いったい父と何を話し、
何を話さなかったのだろうかと。
そして、
なぜそんなことを
考えるようになったのだろうかと。
「覆水盆に返らず」と叫び、
嘆きたい訳でないことだけは
確かだと思う。
おそらくだが、
人生は短い
と知る立ち位置に、
自分も来てしまった
ということではないか。
それじゃあ、
今から時を巻き戻してやるから、
好きなだけ父と話していいぞ
と言われたら、
かえって困惑してしまう。
思えば、生まれ落ちてから
社会に出るまでの人生と、
それ以降の人生では、
前者の方が
はるかに長かったように感じる。
人生をやり直せるなら、
どこからやり直したいと思うか?
という問いかけを、
よく、そこいらへんで聞く。
しかし、僕は
人生をもう一度やり直したいと
思ったことは、
これまでに一度もない。
そう言うと、大抵の人から、
あなたは恵まれているか、
能天気だからだと言われる。
それを、鼻息荒く
否定しようという気持ちはない。
だが、
成功しようが、
失敗しようが、
人間にとって
大きな違いはないと
思うようになってきた。
そもそも、
成功とは何か?
失敗とは何か?
この世の中で、
ただ一つだけ確かなことは、
生まれ落ちたものは、
必ず死ぬということだ。
だから、
世を儚んでいる人がいたら、
心配しないでくださいね!
と言いたい。
大丈夫ですよ。
必ず、
全員死にますから。
どうせ朽ち果てるのだから、
それまでは生きればいいのだ。
どうせ生きているなら、
楽しめばいいはずだ。
プレッシャーや苦しみさえ含めて、
楽しみに昇華していくゲームで
いいじゃないか。
自分が思ったとおりに
生きればいいさ。
それによって生じた
回り道も、近道も、
損も、得も、
リスクも、成果も、
背負って走る
サバイバルゲームなんだから。
途中まで戻してあげるから
なんて言われてもね。
気力がもちませんや。
そのかわり、
最期まで好き勝手に、
生き続けてやろうと思う。
人の一生など、
短くて儚いのだ。
しかし、
短くて儚いからこそ、
生きる意味があるのかもしれない。
僕には、
弟か妹がいるはずだった。
それを成人になってから知った。
僕にも、
自らの生き様を
考えることが、
ごく稀にだが、あるのだ。
そんな時、
心の片隅に、
彼らの存在が
フッと現れることがある。
僕は、
何も背負わないし、
背負うことはできない。
だが、
オレは偶然生まれちゃったもんで
という言葉では、
整理のつかない事柄もあるのだ。
あ、そこのあなた。
生きる意味が見つからないと
おっしゃっている
あなたです!
心配しないでください。
大丈夫です。
僕も、あなたも、
宇宙の時間で言えば、
まもなく、一瞬のうちに
跡形もなく消えますから。
さあ、
チャレンジすべきものを探し、
チャレンジし続けようか?
それまでの一瞬を
持て余さぬように。
このサバイバルゲームを、
ワクワクするほど
楽しむために。
僕は今夜も、
フーラを抱きしめ、
その存在を愛し、
その存在に感謝し、
かすかな眠りに落ちていこう。
明日を
駆け抜けるために。
一瞬の日々を
突き抜けるために。








