僕は、フーラと暮らし始める前

 

マラソンが趣味で、数多くのマラソンを走っていた。

 

国内各地はもとより、ハワイやオーストラリアにも

 

走りに行っていたのだ。

 

マラソンをやりたいと思ったきっかけは、

 

ハワイ島を仲間と旅したとき、

 

トライアスロンのアイアンマン・レースを

 

たまたま、見てしまったからだった。

 

アイアンマンは、トライアスロンの中でも別格で、

 

スイム3.8キロ、バイク(自転車)180キロ、

 

ラン42.195キロを、一斉にスタートして連続して行い、

 

一番早く226キロ先のゴールにたどり着いたものが

 

勝者という、普通の人間にとっては、

 

ゴールすることすら考えられないような

 

途方もないものだった。

 

僕は、ワイコロアビレッジのヒルトンに泊まっていて

 

いっしょに来た仲間たちとコナの街まで、夕食に出かけた。

 

その日、アイアンマンをやっていることすら

 

知らなかった。

 

その時、街灯もない夕刻の平原を、

 

溶岩で出来た無機質な平原の中を、

 

黙々と走る数名のランナーを見たのだ。

 

コナに着いて知ったことだが、

 

トップランナーたちは、

 

すでに何時間も前にゴールしていた。

 

それでも、自らのゴールを目指して

 

走り続けるランナーたちを見て、

 

僕は何かを感じていた。

 

夕食を終え、すっかり酔っぱらって

 

いい気分で店を出ると、

 

コナの街にあるゴール地点には、

 

今もちらほらとランナーがゴールしていた。

 

彼らを盛大な歓声はつつんでいなかったが、

 

それでも街を行く人々は、

 

ランナーが来ると声をかけ、

 

彼らを称え、声援を贈っていた。

 

僕らはタクシー呼んで、ワイコロアへ向かった。

 

その時、すでに時刻は夜9時を回っていただろう。

 

真っ暗な平原を、

 

クルマのライトがなければ、

 

道がどこかすらも、わからないような平原を、

 

あたまにライトをつけたランナーが

 

その時、まだ走っていたのだ。

 

一体、彼は何時間前から競技しているんだ?

 

僕は、素朴にそう思った。

 

何のために走るのか?とも。

 

そして、彼がゴールできることを

 

ひそかに祈ったのだ。

 

翌日、コナ空港から帰国したのだが、

 

空港でアイアンマンに出た選手と

 

わかる男女をたくさん見た。

 

彼らは、折りたたんだバイク(自転車)を

 

専用の袋につつんで荷物として持っているので、

 

一目でそれとわかるのだ。

 

その中には、日本人も数多くいた。

 

驚きだったのが、彼らがとびぬけた身体能力を

 

持っているような、とびぬけた肉体を

 

していなかったことだ。

 

むしろ僕には、普通の人に見えた。

 

余計なものをつけていない人、

 

余分な脂肪だけでなく、余分な筋肉も

 

つけていない軽量スポーツカーのような

 

人たちに見えた。

 

僕は、帰りの飛行機の中で

 

マラソンをやりたいと思い、

 

やろうと決めていた。

 

なにより、僕をその気にさせたのは

 

コナからワイコロアへ帰るルート19で

 

真っ暗な道をもくもくと走り続けていた

 

あのランナーであった。

 

名前も、顔も知らず、

 

生涯話すこともないが、

 

たしかに、あの時、あの場所で

 

彼との一瞬の邂逅によって、

 

僕はインスパイアされたのだ。

 

まだ、フーラと暮らすことになる、

 

何年も前の話である。