皆さま、こんにちは。
フーラとこーたです。
昨日12月17日(土)に、父の告別式を無事に終えることができました。
11月20日に父の兄が亡くなり、
11月23日に葬儀に行ったばかりでしたが、
自分の父親を、そのたった3週間後に見送ることになってしまいました。
あっけない最期ではありましたが、
父の死に顔は穏やかで、
父の魂が、無事にそのふるさとへと帰っていったことを
つよく感じさせてくれるものでした。
今回は、加藤一族が、
山形、東京各所、横浜、静岡、名古屋、大阪、和歌山から集まってきました。
さながら、親族の集会のような楽しいひとときとなり、
父も、たいそうよろこんだことと思われます。
僕のブログのお休みと、父の死をご報告させていただいた際には、
皆さまから、たくさんの温かい励ましのお言葉を頂戴いたしました。
あらためまして、皆さまに心からの御礼を申し上げます。
<最期の15分 僕が見た夢>
12月13日、午後3時過ぎのことだった。
「ねぇ、こー君、
お父さんの様子が昨日と違うの。おかしいの。
今からすぐ病院に来られる?」
また、いつもの調子で姉からLINEが来た。
昨日、二人で様子を見に行き、
今日は僕が行かないでも大丈夫との結論に達していたはずだ。
「姉貴、いま15時だが、16時から俺が主催した会議が入っているんだ。
役員を集めているんだよ。キャンセルするなら、明確な理由と至急であることが必要だ。
今すぐナースに主治医を探させてくれ。医者に状況を聞いて欲しいんだよ。」
「わかった。すぐに聞くから。」
「ん?」
姉のめずらしいほど素直な返事に、僕は嫌な予感がした。
数分で姉から返事が来た。
「大丈夫だって。脈拍も心電図も異常ないって。だから来なくていいわよ。
だけど、昨日と違うの。すごく苦しそうなの。
でも、先生が大丈夫だって言ってるから、16時になったら、私、今日は帰るわね。」
「わかった。」
姉に返事をしながら、僕の中で警告灯が点滅し始めていた。
行ったほうがいい。
社内の関係者に詫びの連絡を入れ、
役員秘書に事情を話してスケジュールをキャンセルした。
オフィスから、飯田橋の病院まで約30分。
「やっぱり今から行く。」と姉にLINEした。
姉と入れ違いに、16時50分頃病室に到着。
確かに、昨日までと微妙に父の人相が違う。
昨日までは、口を大きく開け、間抜けに見えるくらいの顔をして、
「うううーん。えへへーん。」と
痰を切るような、うるさいほどの大声を出していたのだが、
今日は口を真一文字に結び、目を閉じ、
小さく苦しそうに「ひゅるひゅる、ひゅるひゅる」と
喉の奥で、おぼれているような呼吸をしている。
ときおり、手をばたつかせ、胸をたたく仕草を見せたり、
手を頭の上に持って行ったりする。
それから小一時間、僕は父の手を握り、
「俺だよ。わかるか。」と父の耳元で呼んだ。
わかっているのか、わかっていないのか。
反応があるような、ないような。
それでも、見方によっては、父が昨日より安定しているようにも思えた。
手探りの状況の中で、僕はそう思いたかったのかもしれない。
病室で仕事のメールを何本か打ち、
17時45分に、父の心配をしてくれていた知人に父の様子を伝えようとした。
しかし、うまく伝達ができない。
だから、僕は別の連絡方法をとった。
じゃあ、今日はここまでだ。おそらく大丈夫だろう。
父の様子を見て、そう判断した。
「父さん、俺だよ」
「今日は、もう帰るからね。しっかりね。」
「わかるかい。俺だよ。おれ!明日また来るよ!」
父の目は、もうだいぶ前から宙を見つめるようになっており、
何も見えていないようだった。
「うん」とうなづいてくれたようにも、「うーん」とうなっただけのようにも思えた。
17時50分に、僕は病室を出た。
飯田橋駅まで歩き、地下鉄南北線に乗った。
18時5分、スマホをいじっていた僕の手の中でLINEの着信があった。
「病院から呼ばれたの。いますぐ戻って。急変したって。」
姉からだった。
マジかよ!
四ツ谷駅で降り、すぐさま反対方向に乗りなおした。
飯田橋駅に着いたのが、18時15分過ぎだった。
パスモで改札を抜けようとしたら、自動改札が閉じてしまった。
僕は、あわてていた。
乗った駅で降りようとしていることを忘れていたんだ。
駅員のところに行き、改札を抜けた。
18時25分、病院の6階に到着した。
「加藤さんのご家族ですよね。」
急ぎ足で歩く僕に追いすがるように、ナースが話しかけてきた。
「はい。加藤です。
容体が急変したのですよね。どんな様子ですか。」
「それが、残念なことに、、」
僕は立ち止まって、振り返った。
「残念なことに、18時5分に心停止されました。
ご家族が間に合わなかったので、医師と私どもナース5名で
お父さまのお見送りをさせていただきました。」
18時5分って、姉からLINEが来た時間じゃないか、、、
俺が病室を出て、たったの15分後。
「18時ころ、いきなり脈拍が75から40を切るまでに低下し、
ナースと医師が駆け付けたのですが、手の施しようがありませんでした。」
父はかねてより、延命措置を一切行わないよう、病院に伝えていた。
病室に入ると、父はおだやかな顔で眠っていた。
先ほど僕が病室を出た時の苦痛を感じさせた表情は、
たった35分間で、すっかり消え去っていた。
頬にさわると、まだとても温かく、柔らかかった。
僕は、ベッドサイドの椅子に座った。
「なんだよ、父さん。苦しいなら苦しいとはっきり言ってくれよ。
俺には何のことだか、わからなかったじゃないか。」
先ほど僕が病室を出る時、
口のきけない状況下で、父が僕になにかを伝えようとしていたとしたら。
「おい、ちょっと待ってくれ。
おまえに伝えておきたいことがあるんだ。」
と、心の中で叫んでいたとするなら。
僕は、取り返しのつかない忘れ物をしてしまったことになる。
一つだけ確かなことは、父の人生がいま幕を閉じ、
僕ら姉弟の長い数日間が、いま幕を開けたということだけだった。
ねえ、父さん
もう、あれから4日も過ぎてしまったよ。
ついに告別式の日を迎えてしまったね。
今日は、父さんの体を骨にする日になるんだよ。
ねえ、父さん
いま俺が語った、喪主の挨拶はどうだっただろう?
もちろん、台本なんて作っていないさ。
ただ、こんなことを話すだろうと、おおよそ決めてきたんだよ。
年末の喧騒の中、今日参列してくれた方たちへの感謝。
この晴天のように穏やかだった、あなたの性格。
あなたは、何よりも親族を愛し、かつ、ご近所の皆様を大切にし、
そして、仕事先の方々の活躍をいつも祈っていたこと。
今頃は、今年13回忌を迎えた母とあちらで再会し喜んでいること。
3週間前に亡くなった和義叔父と、30年前に亡くなった鈴子叔母に会い、
すでに逝った母の兄・正一や母の弟・利成とも再会し、
父方、母方の祖父母にも会い、
きっと、もっとゆっくり来ればよかったのにと言われながらも、
みんなが笑顔でいること。
願わくは、あなたの弟妹である叔父叔母が、
あなたの影響を受けることなく
今生でもっともっと長生きしてほしいと願っていること。
僕のいとこやその子供たちが健康でいるように
あなたが空から願っていること。
文学賞を受賞しながら早世してしまった大阪のいとこにも
あなたが向こうで会えたらいいなと思うこと。
母とあなたの看病を長年続けてきた姉に、「ありがとう」を伝えたいこと。
親戚やご近所の皆様に、ぜひとも姉をかわいがっていただきたいこと。
願わくは、私たち姉弟を、今後も見守り続け、応援して欲しいこと。
そして最後に、あなたに代わって皆さまへの感謝を伝えること。
参列者の中でも、ひときわうるさがたで知られる仕切り屋のまさえ叔母が、
僕の顔を見ながら、うんうんとうなづいている。
どうやら、僕の挨拶はまずまずの出来だったようだ。
こんな僕でも、途中でこみ上げてくるものがあったのは確かだが、
葬儀中は絶対に涙を見せないと決めていたので、こらえることができた。
さぁ、出棺の時が来た。
棺が開けられ、
僕がカーネーションをあなたの顔の横に供えたのを合図に
参列者がめいめい、あなたの棺に美しい花々を並べ始めたよ。
姉が、あなたの愛した猫2匹の写真、ジャイアンツの帽子、
あなたへの手紙を供え、あなたの顔を撫でながら泣いている最中、
僕は喪主として棺の先に立ちながら、心の中であなたに語り掛けたんだ。
「ねぇ、父さん。今まで本当にありがとう。」
「いよいよ俺は、本当の意味で自分の足で立たねばならなくなったんだね。」
「俺は知っての通り、大切だったはずのものをたくさん失ってしまったよ。」
「何とか再生を図ろうとしているが、出会う人々にも迷惑をかけてばかりだ」
「昨夜も分不相応な夢を見ていたよ。
これから先、俺は何か確かなものをつかめるのだろうか。」
ねぇ、父さん。
俺に答えを教えてくれないか?
みつめる父の唇が動き出しそうに思えた瞬間、
棺のふたが音もなく閉じられ、
父の穏やかなその寝顔は、
闇の中へと
永遠に消えてしまった。


