新札・新知事・新政権 | 福島から山口・空・海・大地

福島から山口・空・海・大地

わすれない。ひとりでも可視化を

はて?都民に必要なのは…

 

 

電通大企業の犬か?

 

 

百合子山をのり越える底力か? 選挙後もあきらめず訴える民力か?

   

 

 

 

2023年8月17日 追悼文を送らなかった小池知事。

2024年は新知事に期待…

 

 

 

イギリス 14年ぶりの政権交代

新政権の経済政策に期待

 

 

 

 

新札に期待…していないけど

田中正造なら良かったのに…

                       👆

                   通貨発行した渋沢の第一銀行 

                   朝鮮支配と日中戦争を支援

 

 

渋沢栄一氏の光りと影

重農・緊縮政策へという大転換を図った松平定信を敬愛

福島県白河市の南湖神社の創建に寄付

 

 

 

 

 

渋沢栄一  電力会社を含む500余りの企業に関与

渋沢氏の銅像を磨く東電社員。ヒマ過ぎでは?

 

 

1896年~1943年 第一銀行韓国支店を経営

日清戦後,第一銀行の朝鮮支店はあたかも政府の出先機関として行動し,渋沢も朝鮮に対しまるで政府代理人であるかのごとき行動をとっている。

 


渋沢の朝鮮認識は、もともと何に由来するのであろうか。

👇

”韓国に対する私の考えは,三韓征伐とか朝鮮征伐とか征韓論とかに刺戟せられたものであろうが,兎に角朝鮮は独立せしめて置かねばならぬ,

それは日本と同様の国であると考えて居たのである。”とか,

”神功皇后の三韓征伐より以後,我国は引続き彼国に対し進取的攻略を採り来り,近年特に盛んなりといふべし”と述べている



朝鮮の置かれた状況を

”韓国は全く農業時代の国にして,未だ工業経済若くは商業経済の時代に達せざる者なり”と述べている。

”故に、我は彼の母国の如き感あるを以て誘導してやらなければならないと考えていた”(青淵記念財団竜門社編[1960],第6巻,434頁)。
 


渋沢の根本理念として

政府や財閥に依存すべきではなく自立の道が必要であった。

そのための独自路線が朝鮮での活動であったのであるが,朝鮮そのものの主権を軽視した考えそのものは、大いに批判されなければならないだろう。
 

 

自立?政商として大倉財閥と共に政府に関与し、暗躍したのでは?

 

新札を眺めるたびに、思い出してしまう。沖縄もガザのことも…

 

一日も早く新政権。真総理へ!

 

青字はブログ担当者の記事

 

 

 

 

101年前の関東大震災よりも、外国人が増えている東京

山本太郎氏は、首都直下地震に対応できる知事が必要と訴えている。
 

渋沢氏は83歳で関東大震災に会い、

”震災は堕落した社会への制裁” ”民の力で復興”と発言

 

 

朝鮮の人から見た関東大震災

 

趙 景 達著 植民地朝鮮と日本

ディアスポラ朝鮮人の歴史は苦難とともにある。

在日朝鮮人についていえば、その最初の悲劇は、1923年9月1日に発生した関東大震災の際におとずれた。

当時、日本には約8万人の朝鮮人が在住し、東京には1万人ほどがいた。

彼らはみな警視庁特高課内鮮係を中心とする警察の監視下にあった。

震災前、警察は、8月29日が韓国併合の記念日に当たるだけでなく、

1日に山本権兵衛内閣の親任式が行われることになっていたために、

すでに厳戒態勢を敷き、要視察人に対する検束も予定されていた。

 

そうした中、御前11時58分に大地震が発生したのである。

 

そして、朝鮮人暴動の流言が早くも1日の夕刻から広まり出した。

流言の拡散には、末端の官憲による警戒情報が大きな役割を果たした。

 

こうして、政府は翌2日には戒厳令を敷く。

それと同時に、流言は真実性を帯びて急速に広まり、「朝鮮人狩り」が

行われるようになった。

各地域で自警団が組織され、多くの朝鮮人が生命を奪われた。

 

虐殺は千葉や神奈川、埼玉などで行われ、数千名から6000名ほどが殺害された。

 

そして3日には、無政府主義者の朴烈と、その内縁の妻金子文子が大逆罪の嫌疑で逮捕される。

 

当時の在日朝鮮人は、言語不通者や親方・小方の土建労働者などが多く、一般の日本人も部屋貸しを嫌ったために、集団居住する者が多かった。

官憲や軍隊では、一応朝鮮人を「保護収容」したが、その扱いは戦時捕虜のようであった。

 

また、護送時には群衆の襲撃を招き、虐殺を傍観するような事態も起きている。

 

中略

 

報道管制が敷かれたにもかかわらず、虐殺の事態は朝鮮に早々に伝わっている。

在朝日本人は自警団を組織するなど武装化した。

 

また朝鮮人の間では、日本各地から続々と逃げ帰った者たちの口を通して流言が広まった。

普天教などでは、いよいよ終末が到来して教祖の車京石が登極(皇帝即位)すると期待する声がひそかに上がった。

 

また、「大韓独立万歳」「東京全滅万歳」などの「不穏文書」が一部に撒かれた。

関東大震災の悲劇はまさに、帝国日本において日本人と朝鮮人が全く別の位相にいることを示す、象徴的な一大事件であった。

 

 

中略部分は、戦争での虐殺の背景に通じるものがある?

 

自警団で朝鮮人虐殺の先頭に立った日本人には、殺された朝鮮人同様に、親方・小方関係の職種にいる底辺に位置する彼らは、日常的には国民の主役たり得ない疎外された民衆だが、非常時には国家的アイデンティティ=国民を晴れて実感できる階層である。

 

関東大震災は、彼らがその日常的な階層コンプレックスに規定された鬱憤をはらす絶好の場となった。

 

彼らは旦那衆からの振る舞い酒に鼓舞されて、弱き市民を守護する戦士=国民の主役となって「天下晴れての人殺し」に赴いたのである。