開国から170年。 ”攻撃は最大の防御”が、やめられない島国
やめられないオジサンたち
宗主国の言いつけどおりが、やめられない島国
ジョージワシントン大学
宗主国に守ってもらえると幻想が、やめられない島国
9条が邪魔だ~ 9条を変えて戦ぬ?与那国町長
原油輸入大国の覚悟
与那国の電気は火力発電所 自衛隊の電気も…
発電所の重油は、本土から沖縄本島へ
沖縄本島→中継島→離島 輸送費で高くなる
沖縄県の再エネは、まだ12%程度
2016年6.2%→2022年12%→2030年26%へ
太陽光が中心
沖縄県内の再生可能エネルギー導入状況としては、2009 年 11 月に太陽光発電の「余剰電力買取制度」が運用を開始し、それまで県内でほとんど導入されていなかった太陽光発電の設置が進んだ。
2012 年7月からは「固定価格買取制度」がスタートし、太陽光発電はより一層の導入拡大を見せたが、近年は買取価格の低下も相まって太陽光発電導入の伸びは鈍化傾向にある。
導入容量でみると、太陽光発電以外の再生可能エネルギー電源の導入容量は大きな伸びは見せていない。
特に、風力については、極地風速の規制が厳格化されたことで、導入拡大が困難な現状にある。
日本全体も、景観問題や自然破壊で再エネが難しい島国
1985年石油が100%→石炭・LNG・石油で発電 すべて輸送が必要
by沖縄電力
軍備増強と脱炭素は、企業のビジネスチャンス
4600億円で開発予定のミサイル
福島にもある米軍レーダー基地 ミサイル置く?
2016年から自衛隊配備で、与那国に恩恵
中国からの観光客の恩恵 約8000億円
攻撃で消滅するはず…
攻撃すれば、お返しはあるはず…
2021年8月に投票率91.03%。628票で選ばれた糸数氏
2025年8月の与那国町長選挙に出馬する?
青字はブログ担当者の記事
与那国に行く前に、歴史探訪
byばちらぬん
■ グスク時代
13世紀
この頃、集落をまとめる按司が現れる。
15世紀末
女首長、サンアイイソバが現れる。
1500年
オヤケアカハチの乱(八重山征伐)
1500年
与那国征伐。宮古軍が与那国を攻めるも、サンアイイソバが撃退。
■ 琉球王国支配下
1510年
慶来慶田城用緒の嫡男、祖納当が与那国与人になる。
1522年
与那国征伐(鬼虎征伐)。宮古軍が与那国を攻め、鬼虎は没す。
1522年
以降、琉球王府の完全支配下となる。
八重山では仲宗根豊見親の嫡男、金森が八重山頭となった。
1524年
首里王府から送られた西塘が、竹富大首里八重山大屋子となる。
実質的に、八重山も琉球の支配下になった。
1602年
八重山で疱瘡発生。死者多数。
■ 琉球王国支配下(薩摩藩勢力下)
1607年
薩摩藩が琉球に侵攻。琉球は薩摩の支配国となる。
1611年
薩摩による八重山検知。与那国は毛利元親が検知。
1625年
石垣島、桴海村津波に襲われ全村流潰(八重山島年来記)。
1637年
宮古・八重山に人頭税が科せられる。
1651年
与那国島の人口500人
1667年
石垣島で大地震(八重山島年来記)
1771年
明和の大津波。
与那国島では他の八重山の島々のように大きな被害はなかった。
与那国島の人口972人
1776年
八重山で飢餓と疫病が3年も続く。
1796年
八重山与那国村の宇江城、米・芋を餓者に与へて以て人命を済ふの善行を褒賞す。
1801年
与那国島祖納村の船筑松原仁屋の善行を嘉奨し、筑登之之位を賜ふ。
1834年
八重山で風疹で636人死亡、疫病で1996人死亡。
■ 近代(明治~)
1872年
琉球処分により琉球王国が琉球藩となる。
1879年
廃藩置県により琉球藩から沖縄県に。八重山も沖縄の一部となる。
1884年
診療所が創設。
1885年
与那国小学校が創立。
1888年
警察署を創設。
1893年
八重山病院与那国出張所を創設。
1895年
日本が台湾併合。
1903年
人頭税廃止。
1914年
与那国村が設立。
■ 太平洋戦争
1941年
第二次世界大戦が勃発。
1944年
日本軍が八重山の軍事強化。13000人の日本軍が常駐することとなる。
八重山各地の住民が、マラリア発生地区へ強制移住させられる。(戦争マラリア)
十・十空襲、以降、与那国島への空爆が多くなる。
1944年
12月 従軍慰安婦船への爆撃事故が発生。
1945年
4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。
6月23日 沖縄戦終結する。
8月15日 終戦。
与那国島では、空爆で38名、マラリアで366人が命を落とす。
■ 琉球政府
1946年
アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命。
第一回通貨交換、円からA軍票(A円)へ。
1947年
日本本土・沖縄と台湾・香港を結ぶ密貿易ルートの中継地として空前の活況を呈し、一時的な在島者も含めて実人口は15,000人を越えるようになったとされる。
1948年
第二回通貨交換、A軍票(A円)からB軍票(B円)へ。
1946年以降
琉球政府ができるまで、台湾や米軍との闇取引がさかんとなる。
この頃、住民登録上の人口は5~6千人にもなる。
50年以降は減少。
1952年
沖縄民政府は琉球政府となる。八重山は八重山庁となる。
1958年
Bドル発行。
1961年
マラリア撲滅。
■ 復帰後
1972年
沖縄が日本国に復帰。
1977年
2度にわたって、ベトナム難民が、与那国島に漂着。
1978年
7月30日 車が左側通行になる。
1986年
海底遺跡がダイバーによって発見。それ以降、観光スポットとなる。
1990年
ドキュメンタリー映画『老人と海』が公開。
1996年
中国の弾道ミサイル事件。台湾総統選挙をめぐって、中・台関係の緊張が高まる。選挙当日が近づくにつれ、与那国島近海で中国軍のミサイル演習と台湾軍の射撃訓練が頻繁に行われる。与那国沖約60キロに着弾。
2003年
テレビドラマ『Dr.コト―診療所』がフジテレビ系列で放映。
その後、2004年には特別番組で、2006年には続編が連続ドラマとして放映。
2015年
2月 陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施。賛成が632票で、反対の445票を上回る。
2016年
3月28日 与那国島に与那国駐屯地を開設、与那国沿岸監視隊を配備。
2018年
映画『ヨナグニ』の制作が開始。
2020年
2020年10月与那国島で映画『ばちらぬん』の撮影が開始。21年2月完成。
参考文献
小野雅司,豊川裕之,丸井英二,崎原墜造(1979).「沖縄県与那国島の人口変動と人口構造の変化」『民族衛生』 第45巻,第3号,pp.92-103
米城惠(2015).『よみがえるドゥナン 写真が語る与那国島の歴史』.南山舎[やいま文庫]. pp.258-285
山岡成俊(2021)『与那国島の歴史-歴史年表-』.島の散歩. ,(参照 2022-02-10)
http://shimanosanpo.com/churajima01/yonaguni00/rekishinen_99.htm
■ グスク時代
13世紀
この頃、集落をまとめる按司が現れる。
15世紀末
女首長、サンアイイソバが現れる。
1500年
オヤケアカハチの乱(八重山征伐)
1500年
与那国征伐。宮古軍が与那国を攻めるも、サンアイイソバが撃退。
■ 琉球王国支配下
1510年
慶来慶田城用緒の嫡男、祖納当が与那国与人になる。
1522年
与那国征伐(鬼虎征伐)。宮古軍が与那国を攻め、鬼虎は没す。
1522年
以降、琉球王府の完全支配下となる。
八重山では仲宗根豊見親の嫡男、金森が八重山頭となった。
1524年
首里王府から送られた西塘が、竹富大首里八重山大屋子となる。
実質的に、八重山も琉球の支配下になった。
1602年
八重山で疱瘡発生。死者多数。
■ 琉球王国支配下(薩摩藩勢力下)
1607年
薩摩藩が琉球に侵攻。琉球は薩摩の支配国となる。
1611年
薩摩による八重山検知。与那国は毛利元親が検知。
1625年
石垣島、桴海村津波に襲われ全村流潰(八重山島年来記)。
1637年
宮古・八重山に人頭税が科せられる。
1651年
与那国島の人口500人
1667年
石垣島で大地震(八重山島年来記)
1771年
明和の大津波。与那国島では他の八重山の島々のように大きな被害はなかった。
与那国島の人口972人
1776年
八重山で飢餓と疫病が3年も続く。
1796年
八重山与那国村の宇江城、米・芋を餓者に与へて以て人命を済ふの善行を褒賞す。
1801年
与那国島祖納村の船筑松原仁屋の善行を嘉奨し、筑登之之位を賜ふ。
1834年
八重山で風疹で636人死亡、疫病で1996人死亡。
■ 近代(明治~)
1872年
琉球処分により琉球王国が琉球藩となる。
1879年
廃藩置県により琉球藩から沖縄県に。八重山も沖縄の一部となる。
1884年
診療所が創設。
1885年
与那国小学校が創立。
1888年
警察署を創設。
1893年
八重山病院与那国出張所を創設。
1895年
日本が台湾併合。
1903年
人頭税廃止。
1914年
与那国村が設立。
■ 太平洋戦争
1941年
第二次世界大戦が勃発。
1944年
日本軍が八重山の軍事強化。13000人の日本軍が常駐することとなる。
八重山各地の住民が、マラリア発生地区へ強制移住させられる。(戦争マラリア)
十・十空襲、以降、与那国島への空爆が多くなる。
1944年
12月 従軍慰安婦船への爆撃事故が発生。
1945年
4月1日 米軍が沖縄本島に上陸。
6月23日 沖縄戦終結する。
8月15日 終戦。
与那国島では、空爆で38名、マラリアで366人が命を落とす。
■ 琉球政府
1946年
アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命。
第一回通貨交換、円からA軍票(A円)へ。
1947年
日本本土・沖縄と台湾・香港を結ぶ密貿易ルートの中継地として空前の活況を呈し、一時的な在島者も含めて実人口は15,000人を越えるようになったとされる。
1948年
第二回通貨交換、A軍票(A円)からB軍票(B円)へ。
1946年以降
琉球政府ができるまで、台湾や米軍との闇取引がさかんとなる。
この頃、住民登録上の人口は5~6千人にもなる。50年以降は減少。
1952年
沖縄民政府は琉球政府となる。八重山は八重山庁となる。
1958年
Bドル発行。
1961年
マラリア撲滅。
■ 復帰後
1972年
沖縄が日本国に復帰。
1977年
2度にわたって、ベトナム難民が、与那国島に漂着。
1978年
7月30日 車が左側通行になる。
1986年
海底遺跡がダイバーによって発見。それ以降、観光スポットとなる。
1990年
ドキュメンタリー映画『老人と海』が公開。
1996年
中国の弾道ミサイル事件。台湾総統選挙をめぐって、中・台関係の緊張が高まる。選挙当日が近づくにつれ、与那国島近海で中国軍のミサイル演習と台湾軍の射撃訓練が頻繁に行われる。与那国沖約60キロに着弾。
2003年
テレビドラマ『Dr.コト―診療所』がフジテレビ系列で放映。
その後、2004年には特別番組で、2006年には続編が連続ドラマとして放映。
2015年
2月 陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施。賛成が632票で、反対の445票を上回る。
2016年
3月28日 与那国島に与那国駐屯地を開設、与那国沿岸監視隊を配備。
2018年
映画『ヨナグニ』の制作が開始。
2020年
2020年10月与那国島で映画『ばちらぬん』の撮影が開始。21年2月完成。
参考文献
小野雅司,豊川裕之,丸井英二,崎原墜造(1979).「沖縄県与那国島の人口変動と人口構造の変化」『民族衛生』 第45巻,第3号,pp.92-103
米城惠(2015).『よみがえるドゥナン 写真が語る与那国島の歴史』.南山舎[やいま文庫]. pp.258-285
山岡成俊(2021)『与那国島の歴史-歴史年表-』.島の散歩. ,(参照 2022-02-10)
http://shimanosanpo.com/churajima01/yonaguni00/rekishinen_99.htm