共同体感覚

というのも、

アドラー心理学で初めてくっきりした概念でした。


とってもいいものだと思いました。

道徳心というのも、

本来人間が持っている

この共同体感覚によって培われているのかもしれない

と思いもしました。


しかし、

当時はそれを実感することができなかった。

知っているけれど、

知っているけれど。


必要な第三者となる人がいない、

ということに加えて

共同体感覚を日頃の生活で実感できない、

というのは

知ったからこその寂しさ、苦しさになりました。


だから、初めて教会に導かれ、

あたたかい人間関係に触れて、

このコミュニティに所属したい!と強く求めたのです。


教会の牧師先生や信徒たちとの交流の中で、

共同体の恵みを日々感じます。

そして、実感しているからこそ、

もっと大きなものを想像することができるようになった気がします。


聖書にはこんな一文があります。


あなたがたはキリストのからだであって、

一人ひとりはその部分です。

コリント人への手紙第一12章27節


まさにこれが共同体感覚。

だから、クリスチャンはよく理解できると思います。