ふたつのおくすり

というタイトルの話題からだいぶ離れて、

アドラー心理学と私について書いてきました。


アドラー心理学との最後は

絶望

だったので、

時間をかけて学んできたこと、

親子関係を回復したいという思い、

そういうプラスな面もマイナスの記憶として

残っていました。


挫折した悲しさ、

家族を振り回してしまったので申し訳ない思い、

夫にセミナーまで受けてもらったのに、辞めてしまったこと、

熱し易く冷め易いから、

クリスチャンになったことも、

私のマイブームとしてみられているんじゃないか、

とかも関連した痛みでした。


聖書にこんな文があります。


神を愛する人たち、すなわち、

神のご計画にしたがって召された人たちのためには、

すべてのことがともに働いて益となることを、

私たちは知っています。

ローマ人への手紙8章28節


私はこの御言葉を信じられないでいたんです。

黒歴史に近いものと捉えてきましたが、

今私は、アドラー心理学と歩んできた日々によって、

神様を深く知ることができているから、

とってもとっても良いことだったのです。


アドラー心理学はイエス様を知りません。

だから、不完全で当然なのです。

私が挫折して当然なのです。

最後の段階にいった時に、第三者として介入できるのは、

いや「私たちの問題」として介入してくださるのは、

イエス様だけだから。

もうその段階にいるときは、人の力でどうすることもできないのです。

おそらく。


愚かだったけど、よく頑張っていたな、と当時の私を

褒めてあげようと思います。

真理を求めてもがき苦しんでよかったです。

この過去の肯定は、幸せになる勇気に繋がるでしょう。