両毛線を乗り継ぎ、桐生に続いて足利を訪れた。
 足利市は栃木県の南西部にある。北部に足尾山地、南部は広大な関東平野だ。町の中心を渡良瀬川が流れる。


 下野国足利荘は清和源氏義家流四男・義国からの足利氏ゆかりの地で、平安時代末期には足利義兼が源頼朝の縁戚として鎌倉幕府創設に尽力し、有力御家人の本貫地として発展した。


 足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。
 足利義康の時代からは絹の産地として、近世~近代を通して織物業が発達した。「足利銘仙」のブランドで有名だ。
 

 かのルイス・フロイスが全国唯一の大学と記した「足利学校」がある。

 学生数約3千人の関東地方の最高学府だ。関東管領の上杉憲実により整備された。


 その足利学校を目指した。学校の閉門は16時30分だと言うのに、列車到着は16時15分、駅前でタクシーを拾った。

 どうやら間に合ったが、この時期の閉門は16時だったのだ。事前調査を怠ったツケだった。


 それでも何とか外観だけでもと校門まで進むと、脇の潜戸があいている。

 これ幸いと校庭に闖入、「方丈」と「庫裡」を一巡し、「孔子廟」の門前まで来た。


 学生はどこで授業を受けたのだろうか? 方丈は仏壇の間があるが広いので、恐らくここがそれだろう。

 ほかに庫裡は学生の日常生活の場であり、方丈と庫裡の間に「書院」もある。学生寮の「衆寮」も用意されている。
 

 一通り見学を済まして、裏手にある「鑁阿寺(ばんなじ)」に寄った。
 寺の境内は、足利氏の居宅跡だ。現在も、四方に門を設け、境内の周りには土塁と堀が巡る。

 本堂は国宝。寺号は「金剛山 仁王院 法華坊 鑁阿寺」、本尊は大日如来というから真言宗だ。足利氏の氏寺でもある。


 裏門を抜け、歩いてホテルに着いたのは、夕暮れ迫る逢魔が時だった。
 程なく駅前の居酒屋に席を移し、一献傾けた。昨夕の痛飲が祟って、今日は胃が重い。


 店主の愛想に欺されて、運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、ビールと冷や酒を喫した。
 酔う程にご機嫌になり、つまみがてら、隣席の老人会の会話に聴くともなく耳を傾けた。

 

 どうやら同窓のグループで、話は退職後の人生譚を交換しているようだ。その内の一人が「書」の高段者なのだろう。

 寡聞にして書には不案内だが、日本書道協会の会員であるか、やけに内情に詳しい。

 

 一時は、書の話で盛り上がったが、何時の間にか祭礼に話は飛んだ。どうやら地元の鎮守の世話役でもあるらしい。
 毎日が多忙のようだ。忙しいのも考えものだが、いい人生を過ごされているように思える。

 愚痴ばかり並べる現役サラリーマンの悲哀に比べ、何と健全で有用なことか? 有意義な時間を戴いた気がする。

 今日は不埒な闖入と聞き耳で人間としての品性を汚したようだ。信仰心に乏しい者は、つい羽目を外す。

 スケッチは足利学校「孔子廟」、儒教が教学だったのだ。